森永博志のオフィシャルサイト

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クラブシャングリラ8

TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 8
2012/7/20収録
@TONKIN(新宿)

上諏訪行の一週間後に、恒例CSトークのために新宿〈トンキン〉でまた会った。ぼくらは〈トンキン〉の名菜に完全に魅せられてしまっている。

行く度に、限られたメニューの組み合わせを愉しむ。一品一品が既に絶妙なテイストをかもしだしているのに、組み合わせでよりその絶妙感が増す。

いつも満足感は深く、飽きることを知らない。まるで一週間前に〈桃源境〉 で聴いたピンク・フロイドのように。

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森永(M’)ピンク・フロイドは『狂気』で何を創ろうとしてたのかな?

立川(M)音響芸術を目指してた。

M’先日、『惑星ソラリス』のリメイク版を見たのね。ジェームス・キャメロン制

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作、ソダーバーグ監督の。そのメイキングでふたりがトークしてて、ソダーバーグははじめ音楽はピンク・フロイドの曲を使うつもりだったって語ってるの。リメイク版はそういう内容なんだけど、キューブリックはピンク・フロイドに触発されて『2001年宇宙の旅』作ったんだよね。何が魅力なのかな。

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バンドとして考えたとき、ピンク・フロイドは決してうまいバンドじゃない。ギルモアはギタリストとして卓抜したテクニックを持ってるけど、ニック・メイソンのドラムはキース・ムーン程ではないし、ロジャー・ウォーターのギターもね。リチャード・ライトはまあみんなが思ってるよりはピアノ、うまいけど、テクニック集団じゃない。

M’じゃ、何が?

知性と技術のバランスが一番とれたバンドだったと思うんだ。

M’建築学科にいたという知性ですね。

そう。知性があったから構築する力があった。でもツェッペリンは、そういう意味ではブリティッシュ・フォークとかブルースをベースに本能のおもむくままに表現していた野獣系のバンドだったと思うんだ。で、クリムゾンはやっぱりうまい。うまいから最初の3枚はすごくいいアルバムだったと思うけど、そのあとはうまさに自滅していったんだよ。

大柴(O)策士、策に溺れるってやつですね。

(実はこの日、CSは客人を招いた。大柴さんという、自称「町工場のおやじ」。中国のジュハイというマカオに隣接する街に工場(鋳型製造)と住居があり、500人程の中国人労働者を抱えている。

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前回のゲストの伊藤さんとは、渋谷ののんべ横丁で偶然めぐり会ったが、大柴さんとはミックと一緒に行った山崎ハコ・ライブ@六本木〈スイートベイジル〉で出会った。

ぼくらふたりの共通の知人に誘われ〈スイートベイジル〉に行くと、同じテーブル席に中国からわざわざ山崎ハコを見に来ていた大柴さんがいて、軽くアイサツをかわした。

その後、中国に戻った大柴さんから、実は立川直樹のロックの本もぼくの島の本も読んでいて、しかもCSのファンだったとメールが届いた。〈スイートベイジル〉では、本で知っていた人物と、そのとき目の前にいたぼくらふたりが結びつかなかったらしい。

大柴さんも大のロック好き。また東京に来たときに、このウェブ版CSで知ったという〈トンキン〉の名菜とトークの現場を体験する一夜をセッティングした)

M’ピンク・フロイドの場合、ビジュアル面のスタッフとしてヒプノシスがついていたのも大きいね。

クリムゾンにもピート・シンフィールドが3枚目まではいたんだよ。作詞家ね。デカダンでロマンチックな詞を書く知性の人がいたんです。プロコル・ハルムにも詩人がいた。

曲やアルバムの題名からして詩みたいなもんですからね。

M’この間も話にでたストーンズのハイドパークのコンサートのときにも、ミック・ジャガーはステージでシェリーの詩、朗読してた。イギリスのロック・ミュージシャンって、やっぱり詩への想いって強いのかな?

やっぱりあれだよ、シェイクスピアが根底にあるんじゃない。

M’じゃあ、日本ではブリティッシュ・ロックのその知性の部分は理解されてたかっていうと。

ほとんどされてないね。音楽評論家で、そういうことを言いだしたのは今ちゃん(今野雄二氏)とぼくが最初だったんじゃないかな。

(ここで箱入りのウニとたっぷりのワサビとパリパリののりがでてくる。今日のスペシャルはこのウニと鯨の竜田揚げ)

旨いね。何処の?(と主人のノボさんに訊く)

ノボさん 北海道、礼文の。

いや、これはおいしい。

M’大柴さんはこの間、香港でジョニー・ウィンター、見たんですね。シアトルではニール・ヤングも見てるし。海外で見ると印象違うでしょ。ミックはいままで海外で見て、面白かったライブは何?

ボブ・マーリーだね。

M’何処で見たの?

ロスの郊外。バーバンクっていう町。ちょうど『エクソダス』がでた直後で、だから1976年。ロス市内だと影響が大きすぎるっていうんで当時の市長が公演許可ださなかったんだよ。それでバーバンクというところのキャパ1万人ぐらいのスターライト・アンフィシアターって野外劇場でやった。

説明

M’そのときはもうボブ・マーリーはブレイクしてたの。

クラプトンの『アイ・シャット・ザ・シェリフ』ではじめて曲を聴いた。

M’日本ではあの曲だね。

76年にはアメリカで完全にブレイクしていた。チケット、ソールド・アウト。

M’会場はケムリもうもう?

もうもうだった。ステージのバック・ドロップにハイレ・シェラシェ一世の大きな絵がかかってて、照明は地明かり。『エクソダス』がはじまったらレコードのテンポより3分の2,おそい!何だぁって!

M’そんなおそいビート、それまで誰も聴いたことがない。

呪文みたいなすごいグルーブなんだよ。MCもなかったと思うよ。いままで見た中で、時間と空間に圧倒的な力を感じたね。

M’そういうトライバルな音楽って、サンタナとはちがうもんね。

だってさ、早い曲一曲もないんだよ。だからリズムにのるとかじゃない。要は誰も知らなかったんだよ。それでケムリもうもうの中で、ステージのソデにミック・ジャガーとダイアナ・ロスがいてTシャツで踊ってた。

M’それは相当、ショッキングな体験?

自分の音楽に対する概念が変わったね。すごくシンプルな音で、こんなにグルーブを生みだせるんだっていう。

M’この間話した、70年代はツェッペリンやピンク・フロイドの、あのヘビーでハードなサウンドの時代だったというのとは真逆ね。

もう虚脱だよ。

M’76年は、ボブ・マーリーだけ?

ストーンズも見た。それはロスのスポーツ・アリーナでやってた。前座がピーター・トッシュだよ。もう葉巻きみたいなジョイント吸って、フラフラになってステージにでてきた。それですごいのはアリーナで本番中に、グラウンドに救急車を用意していて、もう泡吹いて倒れてる女たちが、それで運ばれててね。

M’やっぱり、76年って、『ホテル・カルフォルニア』もそうだし、時代はものすごく頽廃していたんだな。映画だと『タクシー・ドライバー』だよ。

ぼく、そのときに、雑誌にルポ書いて、我ながらいいタイトルだなと思ったけど、グラウベル・ローシャの映画にひっかけて、ふたつのコンサートを『白い悪魔と黒い神』ってした。

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M’それはすごいね。

その映画は、『アントニオ・ダスモルテス』の前に作った映画だよ。

M’去年グラウベル・ローシャの全作品を〈ユーロスペース〉で一挙公開してた。そういえば、最近、友だちがVHSだけど、アレバンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』送ってきてくれて、あのラテン・ワールドの神話世界は今でも強烈ですね。それで、クレジット見たら制作がアレン・クレインってなってたけど、これ、アラン・クラインのことかな?

説明

どうだろ?アラン・クラインだったらストーンズのプロデューサーだよ。そのラテンものでいうと、ヘルツォークの『フィッツカラルド』は最初、主演はミック・ジャガーだったんだよ。

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M’実際はクラウス・キンスキーになったけどね。

あんまりロケがやばいんで、ミック・ジャガーはビビッて逃げだしたんだよ。

M’でもさ、すごいスーパースターなのに、よくオルタナ系の作品に出演するよね。ミック・ジャガーもジョン・レノンも。

だってミック・ジャガーはケネス・アンガーの『我が悪魔の兄弟の呪文』で音楽やってるだろ。

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M’ジョン・レノンもオノ・ヨーコとアート・フィルム制作したり、変な戦争映画にでたり。どうしてそういうことするのかな?

だからやっぱり自分でルーツをたどっていくと、根底には反骨精神があって、そこで売れちゃったとき、何か恥ずかしさってあるんだよ。ホント、その恥ずかしさを払拭するのに、アンダーグラウンドのカルチャーにアプローチする姿勢を示した方が効果的なんだろうね。

M’映画界にも、コッポラなんかそういう傾向にあったね。『ゴッドファーザー』、『地獄の黙示録』の超大作路線とは別に、『ランブル・フィッシュ』作ったみたいな。

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『ランブル・フィッシュ』はブルーレイで発売されましたね。

コッポラの新作って『ヴァージニア』って言って、主演はヴァル・キルマーだけど、ナレーションがトム・ウェイツなんだよ。

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M’トム・ウェイツっていうだけで、よさそうですね。

ヴァル・キルマーが売れないホラー・ミステリーの作家の役でね。

M’ヴァル・キルマーってコラージュ・アーティストで、表参道の〈360°〉で個展やってるの。

そう。それで、オープニング、めちゃくちゃカッコいい。トム・ウェイツのくぐもった声で「アメリカには謎のような町がある…」そんな感じではじまって、「人口2000人のその町には変な保安官がいる」みたいなナレーションで、そのアタマの3分間ぐらいで、ぐいぐいひきこんでいく。あー、コッポラだなって思ったね。

M’ちょっとアメリカン・ゴシックな感じですね。

(既に、テーブルにはタイ風イカ炒め、純レバー炒め、酢豚の皿も並び、3人ともかなりハイな状態となっている)

大柴さんは普段は何処にいるんですか?

ジュハイです。マカオの近くなんで、ライブはマカオに見に行きます。

最近では誰が来たんですか?

香港ではジョニー・ウィンターを見ました。コレは素晴らしかった。マカオでは大物ではジョージ・ベンソンですかね。

どういうところで公演するんですか?

シルク・ド・ソレイユをやっているようなホテルの会場で。

お客は入る?

入らないですよ。マカオの客の7割は大陸の人たちですからね。

大陸の人はジョージ・ベンソンなんて知らないのに、なんで公演やるんですか?

オーナーが好きなんじゃないですか?

オーナーはチャイニーズ?

香港人です。入場料もとらずタダで見せます。

なるほど。オーナーが自分の好きなアーティストを呼んで、客が入る入らないカンケーなく、ディナーショーをオーナーが奥さんと見て、成功者のよろこび感じる。むかし日本もそうだったんだよ。

M’いわゆる芸人に対する旦那ですね。それにしてもジョージ・ベンソンっていうのがすごいね。76年だよね、『ブリージン』が大ヒットしたの。本人、メイクして、変だったよね。

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この間のマカオでも、メイクしてたのか、白っぽかったですね。

ちょっとレイ・パーカー・ジュニアとかと同列だよ。

M’あのころ、レゲエもパンクもでてきて、何でも聴いてたんだね。トム・ウェイツもでてきたし。ピンク・フロイドも。

『ウォール』のころだよ。

M’かなりシリアスになっていく。

だって、その前、全世界3000万枚とかセールスして莫大な金を手に入れて、そこでちょっと自分たちで悩んで、ホントに自分たちの好きなレコード作ろうって、『ウォール』を作った。あれ、ストリングスのアレンジ、マイケル・ケイメンですよ。『ウォール』はピンク・フロイドのアルバムでは極致だよ。

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日本はロックといえる人はひとりもいないですね。歌謡曲しかないですね。

あったとしても、いま大柴さんがいったように歌謡ロックだよ。

GSになっちゃったのが日本のロックの不幸な歴史ですね。あれでかなりおくれをとった。

日本がGS全盛期のとき、アメリカではドアーズですから。67年。そのちがいはすごくでかい。その前まで、コニー・フランシスがいたころは、まだ無邪気なもんで、それほど差はなかった。

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ジム・モリソン、レイ・マンザレスになると理解できなかったでしょうね。

サミー&チャイルドは『ブレイク・オン・スルー』をやってた。

M’67年ごろからサイケデリックがでてきて、もうコピーできなくなったんだろうな。そこでとまっちゃったんだね。だけど、ここのところ取材でガレージ・メーカー系の若いクリエーターに会って話を聞いたら、みんな30代、40代なんだけど、ものすごく音楽の影響をうけてるの。それこそビートルズ、ボブ・マーリー、パンク。哀しいかな文学の影響なんて、ほとんどない。

それは世界中、そうだったと思うんだけど、ボブ・ディランと同じくらい世界中の若い奴に影響与えた文学者なんていないんだよ。

M’そうだよね。このCSを20数年前に『エスクァイア』ではじめたときに、最初にぼくらのヒーローはヘミングウェイなんかじゃなくジョン・レノンだって言ったみたいに。

ビートルズ、ディラン、ストーンズ。だからあのときは『エスクァイア』だから思い切りヒンシュク買ったけど、「ヘミングウェイよりジョン・レノンだ」って言ったのは正しかった。

M’だから我々のときより、いまの方が音楽の影響力は増しててね。30代、40代。音楽から行くべき道を教えられてる。ビートルズに関しては、井上陽水がすごくいいこと言っててね。矢沢永吉はビートルズ聴いて、自分も下層から成り上がってスーパースターになろうと思った。ものすごく芸能ノリで。でも陽水はビートルズ聴いて、「みんな各々好きなことをやりなさい」っていうメッセージを感じたって言ってるの。多分、いま、そっちなんだろうな。若い奴らに浸透してってるスピリットね。

なるほど。だけど、コレ、みんな知らないけど、一番最初に自分のレーベル作ったのフランク・シナトラなんだよ。1961年にリプリーズというレーベル作った。音楽作るとき、レコード会社のファックなおやじたちにうるさく言われたくないからって。

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M’アップルより全然前に。

そう。それ、みんな知らないんだろうな。

M’シナトラからインディーズがはじまったんだ。

そう。

M’それこそものすごい影響だね。

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最後のカニの卵まみれのカニ炒飯を食べ、完全に満腹し、もう一軒は〈PB〉と決めていたので、新宿から西麻布に移った。〈PB〉ではエリック・バートンを聴いた。それからTレックスを聴いたが、世に騒がれた“グラム”とはだいぶ印象の異なるブギーの渋さを感じ、主人のフクちゃんと、Tレックスの印象を改めた。あのモードは付属品ね。

一億地図

1時間程、音楽を鑑賞。〈PB〉をでてミックと路上で別れ、ぼくと大柴さんは近くの〈レッドシューズ〉に行った。

全員日本人だったが、ニューオリンズ系のディープなブルースをセッションしていた。コレはいいと、大柴さんは旅先になる東京の一夜を深夜になるまで愉しんでいた。

自称、「町工場のおやじ」@Chinaも、ものすごくロックの影響をうけた人生を送っている。


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[立川直樹による『狂気』ライナーノート]

「ロックン・ロールは20世紀のメイン・カルチャーだ」と言ったのは、写真家としてはただ1人“ロックン・ロール名誉の殿堂”入りを果たしているボブ・グルーエンだが、ではその“ロック”を代表する10枚のアルバムを選ぶとしたら、好むと好まざるとにかかわらずピンク・フロイドの『狂気』を外すわけには絶対にいかないだろう。というか、単に“ロック”という枠を超え、音楽全般、映画、文学……という全てのジャンルを横断して“20世紀”を代表する作品というふうに考えても50のうちには入るはずだ。

1年半ほど前に“特別完全版”が公開され、今更ながらにそのスケールの大きさとディープさで世界中の人々を圧倒したフランシス・コッポラの『地獄の黙示録』、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』……といった文字通りに歴史に残る名作と肩を並べてもいっこうにひけをとらないことを、発売から30周年を記念して作られたスーパーオーディオCDのためのライナーノーツを書くために聴き直してみて再確認。60年代半ばのロンドンのアンダーグラウンド・シーンから登場したピンク・フロイドがレコード・デビューから5年かそこら、そして現在のように過剰なまでのテクノロジーがスタジオに導入されていない時点でこれほどの大傑作を作り上げてしまったことに改めて驚嘆すると同時に、自分がピンク・フロイドと同じ時代を生きてきたということに限りない幸福を感じる。

そして、そうした思いを抱いている人は世界中に数えきれないほどいる。だから全米チャート通算741週チャート・インという前代未聞の、また今後絶対に破られることのない記録が生まれ、セールスも3千万枚を超して、今なお数字を伸ばし続けているのだろう。怪物的セールスも大量の宣伝や派手な仕掛けによるものでなく、曲から編曲、演奏、録音に至るまでの全てが“芸術”と呼べる領域に達しているからであり、それに加えこの完全無欠のコンセプト・アルバムは奥行きが深く、ディープな内容でありながら聞き易さという面も兼ね備えているのである。

だから、時間も場所も超えて、かついかなる状況にでも対応する力がある。聴き流そうとすれば、世界最高水準のBGMでもあるし、深く入っていこうとすれば、確実にピンク・フロイドの迷宮で時を忘れて遊ぶことができる。

ピンク・フロイドについては1973年3月に『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』が『狂気』という、実に的を得た邦題で日本発売された際に、それまでのグループの歩みをまとめた年表をブックレットの形で作り、それから数年後には単行本も書いたくらいに、書くことはとめどなくあり、『狂気』1枚に絞ってみても、1冊の本が書けるだろうが、まずは『ザ・ウォール』以来、ピンク・フロイドのチームの一員として信頼に価する仕事をしているジェームス・ガスリーによる最新24ビット・デジタル・リマスタリングによって新たな進化を遂げた『狂気』を存分に堪能して欲しい。僕の頭の中にはかつてイギリスの『メロディ・メイカー』がピンク・フロイドを評した“音の魔法使い”という言葉がふっと浮かび、30年という時間の流れがSF映画の一場面のように溶解し始めた。冒頭で触れたコッポラの『地獄の黙示録/特別完全版』は純粋な意味での新作ではなかったにもかかわらず、その年のベスト1に選んだ映画評論家もいたが、その伝でいけば、この『狂気/スーパーオーディオCD版』は僕の2003年のベスト・アルバムである。残りの月があと10ヶ月あると言われても、自信を持ってそれを断言できる。本当にうれしい30年目の帰還である。

2003年2月27日 立川直樹

[PINK・FLOYD/THE DARK SIDE OF THE MOONより]



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