- TEXT:
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
- 32
- 33
- 34
- 35
TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA4
2012/3/20収録
@楽衆軒(白金台)
クラブ・シャングリラweb版第4回目は白金台の台湾料理屋で行った。一回目は西麻布、2回目は六本木、3回目は三田と、港区を転々としている。
台湾料理屋は〈楽衆軒〉といい、テーブル席4つほどのちいさな店だ。
ある日曜日、知人たちと会い歓談したあと、ひとりがラーメンが食べたいと言い、渋谷並木橋の〈有昌〉に行ったが休業していた。
それから目黒に行って町中華屋を訪ねたがそこも休業。思い当たるところを車で訪ねたが、町中華屋は何処も再開発で消え、ひとりが白金台ならやってると来てみたら営業していた。
初めての店だったが、旨い、旨い。
旨いうえに、ぼくら(M+M’)がかつて中国の太原という街に仕事で行ったとき、町のレストランで発見した紹興酒の8年物もメニューにあった。
太原のレストランで初めて8年物を飲んで、すぐ、ぼくらは同時にその酔いのビザール感に感応し、ニタッと笑った。
五感が冴えわたる酔い方に酒精の息づかいさえ感じた。
その感興をひさしぶりに東京でいっしょに堪能しようと、〈楽衆軒〉を選んだ。
席につき、8年物の独特の酔いに、太原の夜をちらちら追憶しながら、いつものように尽きぬ話がはじまった。
今回はクレイジーキャッツからはじまりボブ・マーリーまで、間に、山口富士夫、ジョニー・デップ、カルメン・マキ、ヘルツォーク、ポランスキー、ブルース・ウィルス、トニー・ベネット……がテーブルに並ぶピータン豆腐、腸づめ、豚ミミ、大根モチ、カキのお好み焼き風……のようにダイアローグを活気づける。
M’(森永)最近クレイジーキャッツの映画をDVDで何作も見たのね。無責任シリーズの。で、1968年に制作された『メキシコ大作戦』見たら、なんと、ヒッピー全盛期のヘイト・アシュベリーの通りでロケしてた。それナベプロの一番すごい時代だな。ヘイト・アシュベリーにクレイジーキャッツ、行かせちゃってんです。
M(立川)そのまえだと、ザ・ピーナッツが『エド・サリバン・ショー』に出演してるんだよ。ほら、ぼくナベプロ50周年のときに展覧会プロデュースしたじゃない。そのときいろんな資料とか映像見たけど、どれもこれも一級だった。
M’それってやっぱり渡辺晋さんのセンスですか?
Mやっぱり先見の明があった。もともとジャズのベーシストじゃない。いかりや長介さんもそう。ベーシストがプロデューサーになった例って外国じゃ多いよ。ジェイムス・ウィリアムス・ガルシアとかね。
M’細野(晴臣)さんもそうだ。それでね、植木等の話なんだけど、どの映画見ても徹底的にくだらなくて、いい加減で、無責任な、サギ師なんですよ。それをつらぬいた。そんな役者、いないですよ。
Mみんなちょっと売れるとシリアスな役をやりたがるよね。
M’ぼくはファンだけど北野(武)さんも。
M司会の人でも、最初は娯楽で売れたのに売れると政治的発言するようになる。でもナベプロのタレントに関してはクレイジーキャッツもドリフターズも娯楽に徹してたね。
M’それで帝国っていわれるほどの興盛を誇ったけど、60年代が全体的に政治一色になってくと、衰退していったんだね。
Mその象徴がPYGだね。野音で客に「帰れ!」って野次られた。
M’スーパースターだった人間が客に罵倒されるなんてそれまで考えられない。相当すさんだ時代だったんだなと思う。
Mその何年かまえにはニューポートでディランがやられた。
M’このまえ、K&Bパブリッシャーという出版社が刊行物送ってきてくれて、その中に山口富士夫の『村八分』があって読んだのね。
Mうん。
M’で、衝撃的だったのは、じつは山口富士夫って、ゲーリー・スナイダーやギンズバーグ、サカキナナオとかのビート詩人に傾倒していて、それで京都に行ったのね。
Mそうなんだ?
M’そう。GSからドロップアウトして最初にカウンターカルチャーへシフトしようとした第一人者なんですよ。
Mなるほどね。それで、石坂(敬一)さんがプロデュースして制作したソロ・アルバムの謎がとけた。
M’『ヒッチハイク』の歌とか。
M60年代の終わりとかに富士夫ちゃんがビートについて語っても、まわりにわかる人はいなかっただろうね。富士夫ちゃんが活動していた世界には。
M’それで京都に行ったんですよ。ロックの世界には誰ひとりいなかったかな?
Mと思うな。
M’それでものすごく誤解された悲劇はあるね。ジャンキーの部分だけで見られて。このまえ話にでたアリス・クーパーもそうでしたよね。
Mスキャンダラスなイメージだけだったけど、CD聴けばブロードウェイ・ロックだって、ものすごくわかりやすい。
M’最近アリス・クーパーはロンドンのクラブで公演して、そのステージにジョニー・デップがゲスト出演した。
Mああ、そう。
M’ジョニー・デップはZZトップのステージにも最近ゲスト出演してた。
Mハンター・トンプソンの伝記映画ではナレーションやってただろ。
M’ハンター・トンプソンの『ラスベガスをやっつけろ』にもでてたし。ジョニー・デップはいま世界で一番のスターなのに、ビートもゴンゾもロックも、そこにアイデンティティーを見い出そうとする稀有の存在だね。
Mやっぱりデニス・ホッパーの系列だよね。そこがやっぱりカッコいいんだよ。意外とブルース・ウィルスもそっち系だね。もうすぐ公開するけど、『キリング・ショット』っていう新作がいいんだよ。
M’どんな映画?
Mクライム・サスペンス物なんだけど、話は他愛ないの。マフィアのボスとディーラーとぶっ飛んでる殺し屋がでてきて、原題は『キャッチ44』。
M’ということは『キャッチ22』のパロディだ。
Mうん、そう。タランティーノっぽいんだけど、マッケン好きになるよ。
M’ぼくは最近だと、ヘルツォークの3D映画がすごくよかった。
Mそれ、まだ見てないんだ。よかった?
M’いやー、もうめちゃくちゃよかった。3Dなんていうと、いきなりスペクタクルな映像ではじまるのがフツーじゃない。それがいきなり何でもない刈り入れの終わったトウモロコシ畑のロー・アングルではじまるの。
Mそれはおかしいね。
M’エンディングもすごくて、3万2千年前の壁画の洞窟の近くに原子力発電所があって、そこからでる蒸気を使って熱帯園が作られてるの。そこに真っ白のワニがいて異常繁殖してる。そのワニが我々であるっていう。
Mその映画すごく気になってて、『タイム』の選ぶ10本の映画に選ばれてたんだ。
M’それ、劇場で3Dで見ないと伝わんないと思う。
Mやっぱり映画館ですよ。ぼくはこの間、『ドラゴン・タトゥーの女』見に行った。やっぱり大画面で見るとすごいよ。だけど、劇場で予告篇10本ぐらい見せられると、見なくていい映画が全部わかっちゃう。つまりさ、爆破のシーンとか多くてね、スペクタクルの大作物って、ひとつのシーンが3秒とかなんだよ。
M’『バトル・シップ』とか見る気しないよね。
Mでも『キリング・ショット』はバーでの会話シーンが測っちゃいないからわからないけど3分ぐらいあるんだよ。映画はじまってもブルース・ウィルスがなかなかでてこなくて、満を持してでてくると、バーで「おまえ何を考えてここにいるんだ」みたいな会話がずっとつづくの。それがいいんだよ。
M’そういうのではDVDで見たけど、『シングル・マン』もめちゃくちゃよかった。あの映画の原作者って、クリストファー・イシャーウッドっていう、ライザ・ミネリの『キャバレー』の原作者なんですよ。
Mそう。
M’あれ、アントニオーニっぽくないですか?
Mヨーロッパ映画だよ。
M’それも60年代の。あれ、モノクロだった?
Mいや、カラーだよ。
M’モノクロとして記憶してるんだ。
Mだからアントニオーニの『赤い砂漠』もそうだったろ。カラーなんだけど、モノクロに見えただろ。
M’『シングル・マン』もそうです。
M抑制がきいてるだろ。
M’だから余韻がのこる。文学的だしね。
Mたぶんいま映画はさ、その文学的な作品とスペクタクル系とふたつあって、どっちがいいかっていったら、文学的で抑制がきいてる方がいいね。
M’うん。『シングル・マン』は変なところがひとつもなかったな。『ゴーストライター』よりもうぜんぜんよかった。
Mポランスキーの作品としては、『ゴーストライター』はどうかなって思ったね。みんな絶讃してたけど、ぼくはなんでみんなほめるのかわかんない。
M’ポランスキーとは思えない。何もかもだしすぎちゃって。
Mポランスキーだったら新作の『おとなのけんか』の方が好きだな。
M’どんな映画?
M題名通り。子供が喧嘩してるところから映画がはじまるんだよ。それがタイトル・バック。突然、喧嘩してる子供の親がでてくるの。それは夫婦の部屋で、タイプライターうってて、「これでいい」っていうところから会話がはじまって、完全に部屋だけ。アッパー・クラスとミドル・クラスの大人の喧嘩なんだけど、もともとは舞台劇で、それをポランスキーが密室劇映画にしたの。(と、ここでミックが台湾料理屋のカベにはられた演歌歌手のポスターを見て)、すごいよなー。
M’フォーマット決まってますからね。みんなこのポーズ、この色味で撮る。ポップ・アートだね。
M今日はカルメン・マキのCD、持ってきたよ。(と、白盤のCDをM’に手渡す)。
M’このあいだ何だっけな、『探偵はBARにいる』だったかな、エンディングに(M’がうたう)、~時計を止めてふたりのために~って、この歌が流れていいなーと思って、エンドロールでチェックしたらカルメン・マキだった。すごい印象的だった。
MそのCD、新録なんだけど、『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』をうたってて、もうマリアンヌ・フェイスフルだよ。
M’その感じわかる。
M一曲目が『イッツ・ノット・スポットライト』の浅川マキ・ヴァージョンをうたってるの。それで、カルメン・マキが正統アングラの後継者だってわかる。山口富士夫もそうだけど、60年代からずっとやりつづけててる人間の存在感って、すごいよ。
M’だってデビューは『時には母のない子のように』ですもんね。
MそこからOZやって、そのあとソロになって、パクられて、そのあと復帰して、母になっていっとき童謡みたいな歌うたってたけど、いままたいちばんディープなとことへ入っていった。やられたなぁ。
M’去年、彼女は東電の電気料金に対して抗議してましたよ。新聞記事になってた。
M(もう一枚、白盤をさしだし)トニー・ベネットの『デュエッツ』も持ってきた。
M’それも新作?
Mひとつ前。グラミー賞を受賞して、2が売れて、この1が再発されたのね。共にメイキングのDVDがついてるんだけど。2ではトニー・ベネットとエイミー・ワインハウスとかレディ・ガガとかがデュエットしてて、そのときのレコーディングの記録映像もついてる。レディ・ガガなんかは「生でうたったことない」ってビビッてると、トニー・ベネットが「そんなこと気にすんな。オレについてこい」って。
M’問答無用。
Mそう。「オレはいま85だけど、引退するつもりなんかない。うたうことが楽しくてしょうがない」って言ってるんだよ。
M’芸事ってその境地へ到達できるか、どうか。下手したらカート・コバーンみたく自殺するハメになる。
Mステージに立って、うたうことが楽しくてしょうがない人のステージを見たらぼくらも楽しくなる。それが楽しんでるふりを演技しなきゃいけなくなった人を見るのはつらいよ。
M’ボブ・ディランはやがてこういうデュエットがなりたつかな?
Mなんないね。トニー・ベネットはアメリカのスタンダードをうたってたから。ディランは曲の音域がクセがある。トリュビュート物は作られても、みんながちいさいころからうたってた歌をデュエットするのは無理だね。
M’ジョン・レノンは『ロックンロール』っていうアルバム作ったくらいだから、生きてたら、こういうアルバムは作ってたかもね。
Mポールはスタンダード曲のアルバムを作ってたけど、つまんないんだよ。力がなくて。
M’あ、そう。よさそうだけど。
Mスウィングしてない。トニー・ベネットはスウィングしてる。シナトラがトニー・ベネットのことを「お金はらって聴きたい唯一のアーティストだ」って言っててね。
M’トニー・ベネットとシナトラとどっちがいいの?
Mそれぞれよさはあるけど、シナトラ聴くと、トニー・ベネットにはない与太者感があって、トニー・ベネットは気まじめなんだよ。それで、やっぱり40年代はシナトラ、50年代はエルヴィス、60年代はビートルズ、70年代は誰もいないって言われた、「シナトラ、エルヴィス、ビートルズ」のシナトラなんだよ。オンナがパンツ脱いでステージに投げたっていう熱狂はトニー・ベネットにはない。
M’トニー・ベネットはニューヨーク?
Mニューヨークのクィーンズ。イタリア系だよ。だから『ゴッドファーザー』にまんまでてくるステージのあるレストラン・クラブで10代のときにデビューした。
M’ラスベガスでうたってた?
Mうたってたけど、60年代になってビートルズがでてきて一気に人気がなくなって、ヤクでボロボロになるのね。でも息子が復活させたんだ。
M’それを考えると、デュエットの面子はすごいものがあるね。
M本人のスタジオに来て録音もしてるけど、トニー・ベネットがアビーロード・スタジオとか出かけて行っちゃって、すべて3発録りぐらい。
M’いまも生きて現役なのがすごいね。でも、その70年代には誰もいないという話だけど、ボブ・マーリーがいて去年が没後30周年だったんだ。
Mそうだね。
M’それで、2010年には来年はボブ・マーリー没後30周年で世界的に大きな動きがあるって言われてて。
Mうん。
M’ところがフタをあけてたら何もなかった。というのは、北アフリカで民主化運動がおこったでしょ。あれはもうラスタの聖地のエチオピアの近くでしょ。チュニジア、エジプトは。10年ぐらいまえ、チュニジアに行ったら、どこのミュージック・ショップもボブ・マーリーのポスターだらけで、「何で?」って訊いたら、「神だ」って言ってて。
Mエチオピアじゃなくて?
M’そう。チュニジアで。多分、あの民主化運動の精神的なところにボブ・マーリーの『ゲットアップ、スタンドアップ』が流れていたと思う。それでボブ・マーリーの没後30周年の動きを去年、体制側が抹殺したんだと思う。
Mそうかも知れない。
人の好い台湾人の店主が外まで送ってくれた。「また来てね」と福の神の笑顔を見せる。最後まで気持のいい店だ。表通りを歩いて、プラチナ通りに入り、ビル5階、トミーのラウンジ・バー〈GIGINO〉に移った。
いまは3日に一度はこのバーに寄る。先客で秋山道男が居た。ミックと同じように、1969年に出会った友人だ。
テーブルに着き、持参したトニー・ベネットのCDをかけてもらった。
その日は春分の祭日。
東京タワーを遠くに見晴らすバーで、1969年に会った3人が偶然、夜のいっときを過ごしている。
そのBGMに『デュエッツ』はピッタリすぎる。
主人のトミーと出会ったのも、1979年の西麻布のDJバー〈トミーズ・バー〉だった。
30年、40年経って、それなりの年齢になったけど、トニー・ベネットのことを想えば、まだ若僧なんだろうな。
[後記]
自宅にもどりさっそくトニー・ベネット『 デュエッツ 』DISC2ボーナスDVD「メイキング・オブ・アメリカン・クラシック」を観た。
DVDにはレコーディングの光景と各アーティストがトニー・ベネットを前にリスペクトの熱い想いを語るシーンも撮られていた。
どのアーティストの発言も素晴らしいが、中でもボノとスティーヴィー・ワンダーの讃辞が印象にのこった。
トニー(ボノに対し) 「共演できて楽しかった。一生忘れないよ」
ボノ「僕もさ」
トニー「君はすばらしいひとだ。世界のために尽くしている」
ボノ「僕たちは似た者同士だよ。あなたもキング牧師と行進したり、公民権運動に参加したはずだ。重要な時にはいつでも立ち上がってきた。でも僕より賢いね。引き際を知っている」
★
スティーヴィー・ワンダー 「あなたは昔から行動力があった。社会情勢や弾圧、公民権や不正などをめぐって闘ってきたんだ。まだ無名の頃から世間が声を上げるよりも先に、あなたは立ち上がり行動していた。アフリカ系アメリカ人として、そしてアフリカにルーツを持つ者としてこう言わせてもらいたい。あなたという人間を心から尊敬しているよ」