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クラブシャングリラ6

TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 24
2014年3月26日収録
@ゴールデンブラウン&目黒ハイツ(目黒)


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今宵もまた、Mを街角のファンタジー・ワールドへ案内した。快調に二本立て興行のクラシャン!!!三月のはじめにひさしぶりに訪ねた目黒のバーガー・ショップ〈ゴールデン・ブラウン〉で飲んだブルックリン産の〈ブラック・チョコレート・スタウト〉があまりに美味く、またその日、大通りの真向かいにある小料理屋で食べた筍焼きと空豆と鳥大根がちょと他では経験できないほどの美味だったので、今月のクラシャンは、その界隈をめぐる提案をMにすると、「オッケー!」と即決。若い主人でありクラシャンの朋友のノブりんに席の予約の連絡をした際、「BGMは、ディランでよろしく」とオーダーした。「あと、なんか、おつまみ、軽く、一品も」。で、セット・アップ終了。当日、ぼくは早めに店に着き、先に大好物になった〈ブラック・チョコレート〉を飲んで、ほろ酔いになっていると、約束の時間ピッタリにMは店に入って来た。さっそく、ビールを注文。一口飲んだMは「うま!」と感応したので、「で、しょ。なんか、紹興酒の年代物みたいな、凄い風味でしょ」と言うと、また一口飲み、「いや、うまい」。店には、かなりの音量でディランが流れている。先月も新橋の珈琲屋にディランはピッタリだったが、〈ゴールデン・ブラウン〉にも抜群に合う。音源はiPadだが、再生のアンプは真空管だ。トークにはいった。この環境と〈ブラック・チョコレート〉なら、一晩中でも、ディランのことを語り合える。

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【1】

M’: ディラン、凄いな。ここに、こんなに合うとは思わなかった。

M : こうなると、時代なんて関係ないね。最近、ボビー・ウーマックの1stから10枚CDで復刻盤が出てね、聴いたんだ。70年代に日本盤も出てたんだけど、聴いてなかったのね。聴いたら、凄いカッコいい。1stアルバムってタイトルが『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』だよ。

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M’: シナトラの。

M : それをファンク・アレンジで歌っててね。『思い出のサンフランシスコ』なんて、ソウルだよ。

M’: じゃ、もう、復刻なんて感じじゃない?

M : ぜんぜん。ここに来るときも、車のなかで聴いててね、増田(Mの助手)がビックリして、「いま、こんな風に歌えるアメリカの若い奴、いませんね」って。 (つまみはノブりんお手製のバジル・ソース和えの蛍烏賊だった)

M : うまい!

M’: 酢味噌よりバジル・ソースの方がうまい。ノブりん、やるね。この間、ディランのガールフレンドの話ししたじゃないですか。

M : サラ?

M’: じゃなくて、スージー・ロトロっていう、『フリーホイーリン』にディランといっしょに写ってたガールフレンド。最近、彼女の自伝、偶然古本屋で見つけて、読んだんです。ディランとの日々をつづった。それでわかったんだけど、スージーがディランにものすごい影響与えてる。ランボーも教えた。彼女の両親がバリバリのコミュニストだったんで、社会改革の思想も教えた。あと、マネジャーのグロスマンが音楽業界で最初に、ミュージシャンのことをアーティストと呼んだ。ディランの人格が形成されていく過程が面白かった。

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M : ディランの凄いとこは、30周年のコンサート見るとわかる。みんなで『天国の扉』を歌ったあと、ディランはひとりでステージに出て行って、『北国の少女』を歌うんだ。その姿が神々しい。ディランほど、どうすれば自分が一番のスターに見えるかわかっていた人もいないね。ステージでは笑わない。喋らない。その演出が凄いね。そんなスター後にも先にもいないね。

M’: じゃあ、あれかな? 60年代に、バイクの事故のあと長期の活動休止したけど、あれも、人権とか反戦の運動がひどくなったとき、そんなものに巻き込まれたらやばいと思って、隠れたのかな? 歌では煽っておいて。

M : そうでしょ。ニューポートのフォーク・フェスティバルにエレキ持って出て行った時も、あれ、ブーイングされるのわかってたんだよ。

M’: 伝説を自己演出した?

M : それでブーイングの嵐の中で、最後にはアコギ持って出て行って『イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー』を歌ったんだよ。「もう、君たちと会うことはない」って。

M’: 65年だかのイギリス公演のときも『ドント・ルック・バック』で見たけど、ロンドン公演終わって、翌日、新聞記事に「ディランは革命家だ」って書かれてるの読んで、タクシーの中でグロスマンに「やったな」って言うんです。計算通りみたいに。

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M : だから、それを継承したのが、デヴィッド・ボウイですよ。

M’: アンディ・ウォーホルも、そういうとこある。

M : だから、ディラン、ウォーホル、デヴィッド・ボウイですよ。ボウイは自伝読むと、ディランの影響をものすごく受けてるのがわかる。この間、仲のいい奴と話したんだけど、たとえば、いま流れている曲を60年代に聴いて好きになったと。その曲はいま聴いてもいい。それは、ディランじゃなくても、ウィルソン・ピケットでも、ジャニス聴いてもいい。ところが、映画になると、むかしいいと思った映画をいま見ると、「えっ、こんなものだったっけ」って落胆するケースが多い。

M’: 何がちがうのかな?

M : 音楽は作ってる人間が少ないからじゃないか。

M’: 音楽は、何処でも聴けるもんね。それは、凄いことだと思う。別にコンサートに行かなくても、ここでもぜんぜんいいんだもんね。音楽は遍在してる。

M : 映画における音楽ってすごい重要でね。それがわかる監督って、センスがいいと思う。ウッディ・アレンの新作で、ケイト・ブランシェットがアカデミー主演女優賞獲った『ブルージャスミン』がめちゃくちゃいいんだよ。『サンセット大通り』みたいな。ブランシェットが「わたしが彼と会ったとき、バーには『ブルームーン』が流れていた」みたいな話しするわけ。それがキーワードになって物語が展開していくのね。

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ここで、店のドアが開き、ドドドドーッと、宮沢賢治童話に吹く一陣の春風のように、若い女性と子供たちの団体が駆け込んできた。彼らはカウンター席を占領し、いきなり店内が祝祭めいた騒がしさに包まれる。子供たちはインターナショナル・スクールに通う小学生たちか、ノリが日本人の子っぽくない。若い女性はママたちだろう。そのにぎやかな光景を見てMは「ブルックリンだね」と苦笑いする。ビールも今日はブルックリンだし、いま話しにでたウッディ・アレンはブルックリンの出身だし、店内にはまさにブルックリンの住人のような詩人風黒人客がブルテリアを連れて来ている。そこに流れるボブ・ディラン! 出来過ぎのシチュエーションだ。確実に、その夜、〈ゴールデン・ブラウン〉には、聖者がやって来ていた。


M : こういう店が近所にあったらいいな。

M’: いや、ちょっと、出かけてきてるからいいんじゃないですか。

M : なるほどね。マンハッタンからブルックリンに来るみたいなね。 (また、ビールを注文すると、厨房スタッフのテツ君が運んできてくれたので)

M’: ミック、彼はこの間、ブルックリンのこのビール工場に行ってきたんです。ミックに、写真、見せてあげてよ。工場、カッコいいんだ。ウエアハウスだよ。 (テツ君がブルックリンで撮ってきたiPhoneの工場の写真を見て)

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M : いいね。ニューヨークってさ、実は、水がいいんだよ。

M’: そう?

M : 笑い話しみたいなトゥルー・ストーリーなんだけどさ。ほら、海外行くと、ペット・ボトルの水、買いに行くじゃない。それで、ニューヨークでも買いに行ったら、住人の友人が「お前、何やってんの?」って訊くから、「水、買ったんだ」って言ったら、笑われて、「ニューヨークの水は飲めんだよ」って。

M’: 水道?

M : そう。水はいいんだよ。だけど、古い建物は水道管が錆びてて、それで水が汚れて飲めないだけなんだよ。水はいい。だから、ニューヨークはブルックリン・ラガーとか、生ビールがうまい。

M’: それで、ビール作ってるって、アイルランド系かな。

M : アイリッシュだよ。

M’: なんかさ、ボトルのラベルのデザインとか、王冠もカッコいいんだ。だから、王冠、捨てちゃもったいないからって、とっといてもらうの。それで、近所のガキにあげてんだ。 (ノブりんに)

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M’: 今日はガキが多いね。

ノブりん :最近、よく来るんです。若いお母さんたちが、子供にマック食べさせたくないって、連れて来るんです。本物のバーガーの味、覚えさせようって。

M’: なるほど、食育っていうやつね。しかし、今夜は活気、あるな。

ノブりん :昨日は、アメリカから来たスケーターのパーティー、やってて、毎日光景ちがいますね。


子供たちが隣の席に移ってきて、みんな大判の絵本を見開いて見ている。「凄いよ、みんな迷路の本、見てるんだよ」と、Mは言う。その光景を見てると、ぼくらは急に若がえった気になって、トークに、戻る。

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M : あとさ、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツ共演の『八月の家族たち』っていう映画があってね。それ、演技が私たちうまいでしょっていう感じが鼻についちゃって、ぼくはどうでもいいなって思ったんだけど、クラプトンの『レイダウン・サリー』がキーワードになっていてね。子供がそのアナログ・レコード持って、「パパはこれが好きだったのね」っていうシーンまでつくってる。そのパパの役、サム・シェパードだよ。だから、ハリウッドは、そういう私生活派の作品と爆発・追跡の大仕掛けものと、いま二極化してるね。

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M’: アメリカは、また、ローカリズムへと回帰してますね。この間、日比谷の映画館で『ネブラスカ』見たんです。全編モノクロで、ものすごくいい作品だったんですけど、サブ・タイトルの邦題がいただけない。『ふたつの心をつなぐ旅』っていう。監督は、そういう説明的なタイトルにしたくなかったから地名だけにしたんですよ、きっと。ちょっと『パリ・テキサス』みたいな感じ。ロード・ムービーです。また、見たい。

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M : そういうのでいうと、最近、『イミグラント』という映画があって、それ、邦題、『エヴァの告白』だよ。

M’: エグいですね。

M : だろ。 (『レイ・レディ・レイ』が流れてくる)

M’: めちゃくちゃ、凄い、この曲。シングルで大ヒットしてんですからね。

M : いやー、ありえない。『ジャスト・ライク・ア・ウーマン』のあとに、これ!

M’: 絶対にストーンズは影響されてる。

M : されてる。この前、たまたまジェリー・ガルシアのソロ・アルバム、聴いたのね。その中でディランの『寂しき四番街』やってるんだよ。ガルシアって、ディランのカバーだけでアルバム一枚作ってるんだよ。知らなかった。

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M’: ディランとデッドのライブ・アルバムはインパクト、あったね。凄いですよね。ディランとガルシアが共演してるなんて。『スロー・トレイン・カミング』。ジャケットはリック・グリフィンだったかな。しかし、『レイ・レディ・レイ』は、なんでこんなにも美しい声してるのかな。

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M : レインボーだよ。

M’: もの凄い声質ですね。

M : 艶だよ、艶。エロチシズムだよ。

M’: プレスリーの声も美しいけど。

M : ディランとプレスリーとジョン・レノンだよ。

M’: あと、ボブ・マリィーですね。哀愁があってね。

M : この前も話したけど、ディランに懐メロはない。でも、いまここでビートルズの『ペーパーバック・ライター』が流れたら、もうほとんど、オールディズですよ。ストーンズだって、『サティスファクション』が流れたら、オールディズですよ。

M’: ディランは『ハイウェイ61』も、なに聴いても古くないもんな。もの凄く先越してたんですね。

M : 聴けば聴くほど、ディランには時代がなくなってる。ピンク・フロイドは好きだけど、聴くと、まだ色濃く過去の時代が殘ってる。デヴィッド・ボウイも。でも、ディランはちょっとちがうところにいる気がする。ジャズだね。コルトレーンみたいだよ。古くなんない。

M’: もしかしたら、実はいままでなかった音楽なのかもね。

M : そうだよ。スピリチュアルなものを作ろうとしたらダメで、ディランはスピリチュアルなものを内に持ってるんだよ。祈りの歌みたいに。

M’: ボブ・マーリィーには『ノー・ウーマン・ノー・クライ』という祈りの名曲があるけど、やっぱり曲数は限られちゃうね。でも、ディランは全曲だもんね。

M : しかし、この選曲は凄いわ。『ジャスト・ライク・ア・ウーマン』の次に『レイ・レディ・レイ』へいった、この流れは。強力だね。

M’: リクエストに応えたノブりんの選曲ですよ。もう一級のDJだね。しかし、ディランはこういうロードサイドの店にめちゃ合いますね。この感じ、ストーンズ、マネしたな。

M : 『ブラック&ブルー』は非常にディランっぽいと思う。『メモリー・モーテル』とか。

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M’: だけど、この声質は特別ですね。誰も真似できない。

M : みんなが欲しくても手にはいらないもんだね。しかし、ノブりん、凄いわ。


今宵、〈ゴールデン・ブラウン〉は大人も子供も黒人も犬も、すべてが一体となっている。ディランの歌が、その街角の小世界を包み込んでいる。世界の理想とも言える民主的だなぁという感慨とともに、ある考えが・・・

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M’: 最近、思ったことなんだけど、ビートルズの画期的なことってたくさんあったけど、バンド名じゃないかな。ロックンロールの場合、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツとか、基本、メインのバンマスとそのバック・バンドみたいな。

M : シャドウズもそうだ。

M’: 最初はクリフ・リチャード&シャドウズでしょ。ジョン・レノンはインタビューで、ビートルズはポール・マッカートニー&ビートルズみたいなもんだったって言ってて。それが普通で、あとはエルビスとかバディ・ホリーとか、シンガーの名だけでしよ。ということは、バンド名だけだったビートルズは、その後のネーミングの傾向を決定したのかな。だって、ミック・ジャガー&ローリング・ストーンズじゃ、短命だったね。

M : それはまた、新しい考察だね。

M’: その背景には、きっと大きな時代の変化があって、人、みんな平等とか、公平みたいな社会全体に民主化の動きがあってね。

M : そうだよな。平等なんだよ。

M’: シェア。海賊は戦利品を船長が独り占めするんじゃなくて、けっこう山分けしてたらしい。その感じもあるね、バンドには。

M : だから、四等分という意識は、確かにビートルズが最初だったかも知れない。ストーンズも、そうだろうな。作詞・作曲の印税は個人だろうけど、公演のギャラなんかは、どんぶり勘定で山分けしてたんだろうな。前はバンマスの独り占めだった。

M’: その後、クロスビー・スティルシュ・ナッシュ&ヤングなんて、ひとりひとり存在がたっちゃっててね、それもあの時代の精神、感じる。だから、バンド名を見ていくだけで、そこに、経済も見えてくる。だって、ベンチャーズのベンチャーって、ベンチャー・ビジネスのベンチャーですからね。

M : あ、そう!

M’: ベンチャー・シティのシアトルのバンドですよ。それで、あるときドン・ウィルソンにバンド名はベンチャー・ビジネスのベンチャーだったのかと訊いたら、母親がつけてくれて、「そうだ。お前の言う通りだ」って言ってたもん。エレキギター、世界で、どれだけ売れたか。

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M : それで、あの当時、モズライトがベンチャーズ・モデル作ったんだ。やっぱりさ、プロのクリティックがやわいと思うんだ。みんな所詮ファン・レベルなんだよ。マッケンが言うように、バンド名ひとつでも、そこに経済学やら民主化のドラマがあるわけで。ストーンズが『ストリート・ファイティング・マン」を、ニール・ヤングが『オハイオ』を歌ったとき、ピュアな思いはあったんだろうけど、それ歌えば、絶対いくなっていう計算もあったんだよ。

M’: 『黒くぬれ!』も、あれは、ベトナム戦争のナパーム弾のことだとか、いろいろ言われてね。

M : そういうのが21世紀になって、まったくなくなった。

M’: 時間が経ってみると、時代の証言はロックの中にしか残ってないなんてことになりかねないし、そのうち大学ではマルクスの代わりに、ディラン学が主要学科になってるかも。

M : ビートルズもそうだし、60年代のロックンロール・カルチャーって、すごく重要な局面がある。じゃなきゃ、あそこまでいかなかったと思う。

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〈ゴールデン・ブラウン〉をあとにし、目の前の大通りの車道を横切り、向かいの古いアパートの一階、商業色無の、隠然たる気配の扉を開けた。と同時に、そこには席の予約だけ入れ、ディランのリクエストなどしてなかったのに、低い声でディランが歌っていた。扉ひとつ隔て、中は深山の茶室にでもいるような実に静謐な空気が流れ、禅的心境さえ感じる。「どうですか、この雰囲気」とMに言うと、「こういう店、箱根に作りたいんだ」と、感じいっている。クラシャン、本日二本目の、はじまり、はじまりーい! カキーン!ディランが幽かに流れている。

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【2】


M’: この空気感がたまんないでしょ。

M : 〈ゴールデン・ブラウン〉からの変化がね。

M’: 張り紙の類もないし。

M : それは、素晴らしい。

M’: この間、古本屋で田中小実昌さんのシネ・ノートという本見つけて、読んだら、めちゃくちゃ面白くて。あのころ、どんな町にも映画館があったんですね。だから、コミさんは毎日、自転車に乗って映画館に行って、映画見てる。これは怪書ですね。批評も辛口。映画館の、数が凄い。

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M : 町には必ずあった。東映、日活、松竹、東宝の直営館があって、あとは名画座もね。大きな町だと、エロ映画館もあった。

M’: あまりに映画館の数の多さにビックリして、もしかしたら、その頃の東京は世界に誇るシネマ・シティだったかな。

M : それはさ、ニューヨークも同じだったんじゃないの。ニューヨークに初めて行ったとき、『タイム・アウト』見たら、行けないくらい映画館があって、ビックリした。そこで、ベルイマン特集とかやっててね。

M’: メカスやウォーホルのアート・フィルムもカルトの『ピンク・フラミンゴ」もやってて。

M : 最近、ショックなことがあってね、その町の話で。

M’: 何ですか?

M : 仕事でひさしぶりに代官山行ったんですよ。それで、あまりに町が健康的になってたんで、もう、ビックリしてね。なんだか気持ち悪い。

M’: なんかわかります。よっぽど用がなきゃ、行かないもんな。ぼくの後輩のパッチワークやってる子は、なんかいることが恥ずかしくなって、代官山なんて五分といられないって言ってた。相当恥ずかしい町になってるかも。

M : みんなニコニコ笑いながら歩いていて、ピューリタンの町みたい。すべて、路地さえも無菌状態なんだよ。あんな健全な町って、世界の何処にもないよ。異常ですよ。

M’: やっぱさ、代官山には夜のネオンないでしょ。もう、それだけで、つまんないね。でも、オリンピックを前に、東京全体が代官山化しちゃうんでしょうね。 (空豆がでてくる。すでに白ワインをかたむけている)

M’: ウォーホル展、行きました?

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M : いや、まだ。行くけど。空豆、うまいわ。

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M’: なんで、今、ウォーホルだ、ストーンズだ、ディランなんですかね?

M : それはさ、いまの人たちが作れないものだからだよ。

M’: そういうことか。デジタルじゃ、作れない?

M : だって、デジタルじゃ、物量ないじゃない。ウォーホル展は、ものすごい点数らしい。それがデジタルだと、ぜんぶファイルに入っちゃうだろ。ウォーホルの作品はまったくファイルに入らないものじゃない。それは寺山修司も、そうだった。

M’: 物神みたいなもの、ありますね。でも、ノブりんみたくデジタルとアナログをうまく組み合わせて使ってる人もいる。新橋のコーヒー・ショップもCDを真空管で聴いてた。

M : あそこはマッケンに連れて行ってもらってわかったたけど、新しい世代の人たちの姿勢だね。一種の愛がある。

M’: 好きなんでしょうね。

M : 愛だよ。 (しばし、筍、鳥大根など料理を黙々と味わっている。その語らぬ間も心地よい。料理も雰囲気も、絶妙なる調べのようなものに統べられている。トーク、再開)

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M’: でね、ああいうウォーホルのものの見方って、何がルーツなのかなと考えてて。歴史的に、いつ、それが出てきたか。たぶん、ランボーですね。ランボーの詩に『言葉の錬金術』というのがあって、自分は高尚なものや自然や教会なんかより、安っぽい見世物小屋、酒場の看板、漫画、芝居のセットとかジャンクとか、リズム音楽とか、すごく大衆的な低俗なものを愛してるって書いてるです。

M : わかる、わかる。それはもしかしたらノーマン・メイラーがヒップとスクウェアの比較のリスト、書いたじゃない。

M’: あった、あった。

M : ウォーホルはあのリストにあったヒップなものを全部やった気がする。あのリスト、もう一回、見たいね。

M’: それ以前だと、マルセル・プルーストが、一級の文学書よりも旅行会社のパンフレットの宣伝文のが好きだって言ってるし。

M : そのヒップとスクウェアの比較の理論を日本語で解読したのが寺山修司ですよ。その系譜に伊丹さんもいた。

M’: つまり、ランボーからかもしれないけど、そのヒップやポップがそこまでいくのに実はいっばい各駅停車の駅があったのに、いまはビューンと超特急で駅、飛ばしちゃってる。永井荷風が文壇さけて、浅草に通ってたのも、ヒップなことなんでしょうね。

M : 浅草寺と伝法院があって、でも、裏には吉原もある。聖なるものと俗なるものが混在していた。そこに荷風は惹かれたんだよ。

M’: それが、代官山にはない。

M : 寺もない。上も下もない。

M’: それとね、最近、新刊の小説とか読むと、みんな似てるの。やたら、人が死んだり、仕掛けは派手なんだけど、読んでるうちに退屈しちゃってるの。

M : ニュアンスがないんだよ。いまの映画と同じで。

M’: それで、金子光晴の聞き書き本で『衆妙の門』ていう本があって、もう何度も読んでたんだけど、また読んだら、これが、エロものなんだけど、抜群に面白い。語り口が志ん生まんま! これは、化け物みたいな本ですよ。いまじゃ、そんな本、出せないでしょうね。

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M : そういうこと考えると、何もかも水で薄めたみたいになっちゃって、音楽だって、ホントにいいものを聴き分ける力がなくなってきてるし、映画も、食べ物だって、そう。五感で嗅ぎ分ける力がないんですよ。それで、みんなが検索とか投票とか、そっちに流されていってる。

M’: それも、怖いね。

M : しかしさ、〈ゴールデン・ブラウン〉、ガキがすごかったな。みんなで迷路の本、読んでて。『江戸の迷路』とか。

M’: 『アンデルセンの迷路』、『伝説の迷路』。ホントにミックが言うようにブルックリンまんまでしたね。『スモーク』、見てるみたいな。あと、ブルックリン・ムービーだと、『サタディ・ナイト・フィバー』とか『フレンチ・コネクション』、『ワンス・アポン・イン・ア・タイム・イン・アメリカ』ですよ。でも、今日は『スモーク』!

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M : 『スモーク』のあのタバコ屋みたいだったね。

M’: しかし、偶然、この店にもディランが流れていて、いまや何処でもディランが流れている。

M : 最高だね。「何処でも、ディラン」って。いい言葉だよ。

M’: また、ディランの話に戻るけど、ディランはプロテスト・シンガーとかの文脈じゃなく、もっと大きなアートの系譜のなかにいたような気がします。

M : 結局、評論家がそれを解読できなかったんだよ。

M’: なるほど。

M : ピート・シガーの系譜だけで語っていたのが中村とうようさんで、ボブ・ディランのフェイクな局面は少しも語ってないよ。例えば、ボブ・ディランが芸名だったということを書いた人はいない。エンタティナーでもないのに芸名をつけること自体おかしいよ。

M’: ユダヤ系ということもあったんでしょうけど、サイモン&ガーファンクルは本名ですもんね。

M : 日本だと、寺山修司が、そうなんだよ。青森で、子供の頃、ボクシング・ジムに通ってました、と自伝にも三沢にある<寺山修司記念館>の年表にも堂々とあるけど、そのころ青森に実はボクシング・ジムなんてなかった。それ、寺山修司の甥っ子の寺山幸四郎さんから直接聞いた話しだよ。「修ちゃんは嘘つきだった」って。あの青森弁だって、嘘なんだよ。甥っ子さんが言うには、あれは津軽弁じゃなくて、自分でつくった寺山弁だと。でも、それをもって寺山修司なんですということだった。それは考えてみたら、ウォーホルしかり、デヴィッド・ボウイもしかり、その最たるものがディランですよ。

M’: ちょっと、極論かもしれないけど、ダライ・ラマも普通の人が神になってしまうわけだから、嘘とは言わないけど、それなりの演出はあるでしょうね。

M : ダライ・ラマもディランっぽいじゃない。

M’: プレスリーも、あるね。

M : 若干、ある。ディランはプレスリーを、すごく参考にしてると思う。最近、ディランのヤバさがすごく気になりだしてね。

M’: どういう?

M : ちょっと言えば、ディランはロック界のウォルト・ディズニーかも知れない。

M’: キャラものですか。でも、前、ストーンズがそうだって言ってたじゃない。

M : 実は、その元はディランだったんだ。

M’: ストーンズはドームでやって。

M : でも、バレちゃったじゃない。

M’: ディランは同時期に日本にきて、でかいとこでもできるのに、あえてライブ・ハウスにしたんだよね。すごい計算してる。イメージ、保てるもん。

M : ストーンズはしょぼかった。

M’: ストーンズはいきすぎちゃったんですね。やっぱ、『メモリー・モーテル』とか、ちょっと疲れたとき、町の酒場で聴くと抜群の音楽なんですよ。『タイム・ウエイツ・フォー・ノーワン』とか。元気バリバリって、変ですよ。

M : そのいまマッケンが言った、酒場の音楽作れた人が生き残れるんじゃないの。だって、スプリングスティーンは、『リバー』は良かったけど、『ボーン・イン・ザ・USA』はやばいだろ。

M’: 『リバー』も『ネブラスカ』も渋くて良かったのに、なんで、突然、『ボーン・イン・ザ・USA』なのか、おかしいよね。ディランは、そういうことはない。

M : ありえない。

M’: ディランはいままでにどれくらいレコードだしてるのかな?

M : 50枚くらい。

M’: 誰がアーティストでは一番深く関わったのかな?

M : 誰も、特定のやつに特化してないところがディランっぽい。あまり深入りしないタイプなんだね。

M’: すごいエピソードがあってね。ディランがウォーホルのスタジオに行きました。そこでウォーホルがディランにエルビスのポートレイトの作品をあげました。そのころ、ディランは郊外に住んでて、それ車に積んで近所にいるグロスマンの家に行って、ソファーと交換した。という、この話しも、今日の話しからすると、嘘かも。

M : だよ。ディランはウォーホルの作品の価値わかってたよ。

M’: それで、リヴィングに飾りましたじゃ、普通だもんね。そこで、ディランは、その嘘、思いついた。でも、その嘘のが面白いものね。

M : ディランは前にも言ったけど、不動産王だからね。

M’: そのへんがガルシアなんかとちがうんだろうな。ディランのイメージっていうと、キャンピング・カーで旅してるイメージだけど。マジソンのときも、キャンピング・カーが楽屋だったしね。それも演出だったんですね。でもディランは、どんな音量で聴いてもいいですね。素晴らしい。

M : いい店だね。

M’: 全部、うまかった。空豆、大根、筍。

M : やばい。

M’: ここ、空気に間があるでしょ。 (女将のしげさんがやってきて)

女将 :これ、枝豆の漬物です。

M : 漬物?

女将 :召し上がったことないでしょ。おいしいですよ。ほっほっほっほっ------


と、しげさんは軽やかに、高らかに笑い、その声は非常に美しく艶っぽい響きを奏で、はじめて霊妙な空間にハレやかさがひろがった。ちなみに、店名は、「何でもいいんで、このビルの名前です」というんで、〈目黒ハイツ〉だって、ハッハッハッ・・・Mと別れ、中目黒へと歩いていくと、なんか、いつもと街が違って見える。何が、効いたのか。やってきたバスに乗ると、ネオンの海を行く『千と千尋の神隠し』じみた遊覧行のようだった。たどり着いた町はクライム感たっぷりの闇の町、そこにも、ディランは流れてきた。しかし、どこだ、ここは?

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