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クラブシャングリラ6

TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 28
2014年8月24日収録
@あずさ13号(新宿ー塩尻)&茂源(塩尻)


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今年も長野塩尻山中の『朝日のあたる村音楽祭』にクラシャンはトークショーで呼ばれた。

夏の終わり、二日間の二日目の出演。当日、午前11時新宿発の特急列車の車中、イン・トレイン・トークも快調に、ぼくらは音楽祭へと向かう。


M’:  先日、『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』をひさしぶりに観たら、ものすごい発見したんです。

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M : なに?

M’:  あの中にポールのおじいさんという老人がトリックスターででてくるでしょ。そのおじいさんが、本ばかり読んで外出しないリンゴに説教するんです。それが「書を捨てよ、町にでよ」って、言ってんです。

M : そう! それは知らなかった。大発見だね。

M’:  でしょ! あの時代を動かした名言の元はビートルズだったんです。寺山修司、やるなって感じですね。サンプリングです。

M : あの人は何でも一番おいしいとこを直感的につかみとって自分なりの集合体にする才能あった。だからコラージュですよ。

M’:  ウォーホルに近い。

M : 「職業・寺山修司」っていうのなんか、ウォーホルが言いそうなことじゃない。

M’:  最近はニーチェの意訳の名言集が大ベストセラーになったりしてるけど、名言集を最初にやったの寺山ですよね。アフォリズムは。ミックもビートルズの事典で4人の名言集めてたね。

M : ぼくはロックの名言集も作ったよ。

M’:  それ、初耳。

M : あるよ、その本。学校よりもプレスリーからすべてを学んだ、みたいな。

M’:  その名言だけど、エルビスとかチャック・ベリーにもあったの?

M : ないね。その本には入ってない。やっぱり、60年代のビートルズ、ストーンズからだよね。

M’:  案外、チャック・ベリーなんか、気の利いたこと言ってそうね。

M : 言ってたかもしれないけど、記述としては残ってない。あの人たち、インタビューなんて受けてなかったでしょ。

M’:  そうだよね。


(トーク中は忘れてたが、何かの雑誌でリトル・リチャードのインタビューを読んでいたら、こんな発言をしていたーー俺たちなんて、STARなんて騒がれていても、ちょっとのことで綴りがひっくり返ってRATSさーーラットはネズミだ。この名言を知り、1980年、ぼくは事件を起こして転落したシャネルズを復活させるために彼らの本を制作し、その本のタイトルをRATS&STARとした。それがそのまま新しいバンド名になった)


M’:  ロックを論じるより名言を集めた方が面白いね。でも、70年代に名言を集めてロック本を作るなんて、変人に思われなかった?

M : 変わってた。

M’:  ようするにオタクですよね。

M : オタク、オタク。なんか、現代若者録みたいな本に元祖オタクって書かれたことあった。

M’:  前にもクラシャンで話したミックの『怪傑ビートルズ』なんて、完全に密室にこもらなければできない。

M : 部屋にこもるのは好きだけど、町に遊びにも行ってたからね。その両極端の生活が自分でもめちゃくちゃ面白かった。江戸川乱歩的な快楽が好きなんだよ。永井荷風も家ではひとり何かコツコツ調べものしたり執筆したり、でも町に出たら浅草のストリップ小屋にいりびたってたしゃない? あの感じも好きだね。

M’:  ぼくらの若いころは一日中、音楽聴いて過ごす喜びってあったよね。レコードの時代は。

M : その聴く行為が凄く楽しかったね。でも、いま一日24時間の中で、また音楽を聴く時間が増えてきてる。ここんとこ、ずっと聴いてる。

M’:  仕事で?

M : 仕事じゃなくて。昨日も、聴いてて、凄いなと思ったのが『オールディーズ・バット・ゴールディーズ』。それは50年代、60年代のヒット曲集でね、頭がエディ・コクランの『カモン・エブリバディー』で、ラストがクラッシックス・フォーの『ストーミー』だよ。他にはキングストン・トリオの『花は何処へいった』とかジャン&ディーンの『サーフ・シティ』とか脈絡なく、めちゃくちゃに収録されてて。ところがいま聴くと一曲一曲の輪郭がハッキリしていて、アルバムになってもカッコいい。

M’:  それと関係してるかも知れないけど、最近、DVDで『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』見直したんです。あんまり面白いんで二度も見た。なんか、あの抜けた感じは凄いな。音楽も抜群。

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M : いまの映画は映像至上主義になりすぎちゃってるよ。

M’:  そのあと、『バグダッド・カフェ』も見たんです。

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M : ああいうアート・フィルムはいま少数派になっちゃってるでしょ。

M’:  世界では作られてるはずなのに、日本には入ってきてないんでしょうね。で、その二作ね、やっぱり自由な世界でね、見ると凄い開放感があって、いろいろ面倒なことに巻き込まれても、ま、いいかみたいな気分になれるのと、何よりも出てくる風景が圧倒的に絵になってる。見どころは風景です。

M : ホドロフスキーは、そのへんのスピリットをちゃんと持ってるじゃない。

M’:  やっぱ、風景ですよ。『イージーライダー』のあたりから、ハリウッドのスタジオの中の造りもの世界ではなく、リアルな風景の意味が出てきて。

M : 最近だと、あれがよかった。『ファーナス』っていうクライム・サスペンス・ムービー。クリスチャン・ペイルが主演なんだけど、いまマッケンが言った、やさぐれたようなアメリカの工業地帯の田舎町が舞台でね。

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M’:  いいですね。やっぱりアメリカのさびれた田舎町って、もう、それだけで絵になる。それこそ、芝浦高浜橋の〈はるみ〉みたいな。詩ですよ。

M : その「ファーナス』も、風景が、絵になる。ストーリーもカッコよくて、ホント、久しぶりに映画らしい映画を見た。最近は風景を見せる余裕すらなく、とにかく喋りまくり、逃げまくり、爆発するっていうの多すぎる。だって、『バグダッド・カフェ』なんて、何にも起こんないからね。

M’:  『レニングラード・カウボーイズ』なんて、セリフもほとんどない。バンドのメンバー、英語喋れないっていう設定だから。

M : テンポなんて、そんなにないしね。

M’:  いまお台場で『宇宙博』やってて、友人が見に行ったら、本物のロケットを展示してあったって報告がきて。実際、宇宙に行ったロケットを見れるらしいんです。でも、それって考えてみたら、もう宇宙旅行は過去の文明ってことですよね。有人飛行できるのはもうソ連のソユーズしかなくて、これから製造するとなったら莫大な金がかかるし、行けたとしてもひとり75億もかかる。もう、無理です。そうなると、宇宙を目指してた未来的ビジョンなんてなくなって、先には何もない。あとは過去に戻るしかない。帰る旅路です。でも、過去には世界大戦もあったし、原爆もあったし、ヘビーなとこには行きたくない。そうすると、せいぜい50年代までです。今後、70年代がリバイバルするらしいけど。

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M : それで言うと、いままさにマッケンが言ったようなアルバムがあるんだよ。アメリカのレジェンド・ギタリストでビル・フリーゼルという人がいてね。彼がギター・インストのコンピレーションを制作したんですよ。そのタイトルが『ギター・イン・スペース・エイジ』っていう、1曲目が『パイプライン』で、ラストが『テルスター』っていう。ようは1957年のスプートニクス計画から1974年のアポロ計画までのギター・インストのオマージュを作ってるの。それ力抜けてて、『パイプライン』なんて、こんなクールなの聴いたことないぞっていうくらいカッコいい。

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M’:  最近、気になってたのは、クリフ・リチャードとやってたシャドウズです。あのギタリスト。

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M : ハンク・マーヴィンでしょ。

M’:  クールで、知的で。

M : あの時代、ベンチャーズとシャドウズの対比があって。ベンチャーズは太陽なのよ。シャドウズは月なんだよ。やっぱ、アメリカとイギリスの違いだよ。ベンチャーズは軽い。でも、ハンク・マーヴィンはデヴィッド・ギルモアみたいなとこがあってね。

M’:  『十番街の殺人』もベンチャーズ?

M : そう。

M’:  あの曲は、ジョン・ベルーシが自分の葬式のとき流してくれって、エイクロイドに言ってたんですね。で、ホントに流した。

M : ダークなんだけど、アメコミ的なダークなんだよ。

M’:  やっばり、ヨーロッパのダークさとは違う。

M : アメリカのインスト・バンドはサーフィンっぽかったり、スクールっぽいだろ。でも、ヨーロッパのはギャングスターがいるようなクラブでハコバンでやっているみたいなね。

M’:  スプートニクスとか。

M : シャドウズがダントツだね。

M’:  マーク・ノップラーみたいなね。

M : 近い!

M’:  じつは、そのへんがいま一番未来的かな。

M : そうかも知れない。ビル・フリーゼルもアメリカ人なんだけど、凄いヨーロッパっぽいクール感があって。そのさっき言った『オールディーズ・バット・ゴールディーズ』にもシャドウズの『アパッチ』入ってるんだけど、それだけ異彩放ってる。

M’:  そのへんのインスト物のルーツって何ですか?

M : 何だろうな。わかんない。

M’:  ジャズ?

M : それは一回、Charと話してみたいね。

M’:  ぼくは『ダイヤモンド・ヘッド』とか『パイプライン』はエレキ・ギターて絵を描いてるみたいに聴こえて、現代アートに思えた。

M : なるほどね。元はレス・ポールかも知れない。だからギブソン・レス・ポールの創始者で、ギタリストの。

M’:  あと、前から、どういうことなのかなと気になってることがあって聞いてもいいですか?

M : 何?

M’:  ディランの名曲の『ライク・ア・ローリング・ストーン』って歌ですけど、あれ、転がる石は苔むさないっていう諺っていわれてて、意味は、ひとところにとどまらずに転がる石のように生きろというのと、そんな安定しない生き方いつまでしてんのかっていう戒めとふたつあって、どっちなんだろう?

M : それさ、ぼくは石じゃなくて、ストーンは、ぶっ飛んで生きればサイコーだよっていうね、そっちだよ。

M’:  そっちか!

M : あれはディランが一番ハッパやっていたころの歌だから、タイトルはマディ・ウォーターズの曲の『ローリング・ストーン』からきてるけど、ディランのストーンは石じゃないね。あの歌をストーンしようぜっていう感じでとらえたら、全体の意味がもっとわかってくる。

M’:  マディ・ウォーターズも、じつは石じゃなかったかも。黒人は早い時期にもうマリファナやってたからね。

M : だって、黒人たちはもうポットって使ってたしね、スラングでは早くに歌にしてたんだよ。

M’:  ミックは、じゃあ、『ライク・ア・ローリング・ストーン』に関しては、はじめからわかってた?

M : わかってた。だから同じようなことでいえば、ビートルズの『イエロー・サブマリン』もアニメーション映画という解釈とは別にトリップ映画なんだよ。ストーンした状態を表現した、ものすごくわかりやすい映画でね。あと、最近第四章がでた『かもめのジョナサン』も日本では訳のせいでか文学的なものに見られていたけど、あれ、ストーンした状態で書いた小説ですよ。

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M’:  ですよね。

M’:  あれ、アメリカで映画化されたんですよ。ニール・ダイヤモンドが音楽で。世界ではヒットしたけど、日本ではまったく当たらなかった。ストーンした世界の映画だったのに、日本ではカモメの気持ちになって生きようみたいな人生論的解釈だったから、そんなんで見たってぜんぜん面白くない。日本人って、理屈に走るんだ。

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M’:  そういうの多い。父と子の絆みたいな宣伝ね。『ネブラスカ』も。

M : むかしの『レイン・マン』も、そうだよ。あれは日本だとダスティ・ホフマンと弟役のトム・クルーズのすごくシリアスなドラマとしてヒットしたけど、アメリカ人が見たらコメディーだよ。ふたりの兄弟の珍道中にメッセージがはいっているから面白いんであって。それが、日本だと、珍がなくなっちゃう。

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M’:  解釈がね。日本にも珍道中物なんて、いっぱいあったけど、どっかからおかしくなってきた。

M : 評論というものにいい面と悪い面があって。逆にいまは評論がなさすぎるけど。ある時代は評論が力持ちすぎててね。政治にしろ、文化にしろ。ジャズなんか特に、マイルス、カッコいいなんて言ったら、お前、何言ってるだってバカにされたんだよ。ディランを崇高な存在にしたのも、評論家だよ。

M’:  そういえば、この間、神保町の古本屋で植草甚一の『ハリウッドのことを話そう』っていう本買って読んだら、まったく面白くないの。文体も、漢字が多くて、硬くて。それで、ぜんぶアメリカの本と雑誌の引用だから、ぜんぜんタイトルとちがうのね。

M : それ、初期の?

M’:  ですね。とにかく面白くない。で、解説は淀川長治が書いてるんだけど、これが、何にもその本のことも、植草さんのことにも一言も触れてなくて、1962年に淀川さんがハリウッドの撮影所を訪ねて、いろんな監督やスターと楽しい時を過ごしたってことしか書いてない。それは面白い。まさに、本のタイトルまんま。で、思ったんだけど、淀川さんは「あなたも本ばかり読んでわかったつもりになるんじゃなくて、ハリウッドに行ってみなさいよ。楽しいわよ」って植草さんに暗に言ってたのかも。

M : そんな本、あったんだ?

M’:  文体も硬いんです。そういえば、評論家じゃないけど、なべおさみの『やくざと芸能と』という本は最近の本の中ではダントツに面白かった。

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M : それ、読みたいと思ってた。

M’:  水原弘や勝新の秘話も面白いけど、一番はやくざと芸人の共存の歴史を古代までさかのぼって、「ヤクザ」と「役者」の語源がヘブライ語にあると論じてて、これが一級の論文になってんです。ヤクザのヤも役者のヤも元はヘブライ語の「ヤー」で意味は神ですよ。「クザ」と「クシャ」もヘブライ語です。今度、お貸しします。あと、先日、蒲田で見つけたゲンズブール監督の『赤道』も。

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M : ああいうファム・ファタール系の映画はいい。タイトル忘れたけど、前にティモシー・ハットンの出てた映画で、ティモシー・ハットンが大使館に勤めてる役で、ローレン・ハットン役の女にはまっちゃって、サンローランの白いスーツが汗でグシャグシャになってくね。

M’:  白人の白いスーツが熱帯でヨレヨレになってく世界って、ああいうのゲンズブールの美学なのかな。異国で運命の女と出会って破滅していく。

M : 『カトマンズの恋人』っていう映画があって、それにセルジュ、ポン引きの役で出てるのね。あれなんか本人、そういうところに行きたくてしょうがないんだよ。でも、行く勇気ないから、『赤道』みたいな映画、作ってる。

M’:  『モア』も、そんな映画でしたね。『シェルタリング・スカイ』も。

M : よれた第三世界物。で、割と深く掘り下げない。

M : 『赤道』は蒲田の中古ビデオ屋で掘り出したのね。そこ数軒、ビデオ屋あって、前にも話したけど、何万本のVHSが流れてきてて、90パーセントはアイドル物とアダルト物なんだけど、中にとんでもない名画もあって、けっこうゲンスブール物があんですよ。数百円で。

M : そこ、今度、行こう。

M’:  で、中に13000円なんて高価なのもあって、それが朝鮮戦争のドキュメンタリーで見たいと思っても、その値段じゃ買えない。で、店の人が、なんかこう中年の女性で変に色っぽいの。日本人じゃなさそうで。なんで高いのって聞いたら、ようはDVDになってないからですよ、お客さん。アイドル物だと20万もするのがある。それ、売れんの? って聞いたら、売れますって。その女性、アダルト・ビデオ積み上げたカウンターの中にいて、その光景が感動的で、なんか『レニングラード・カウボーイズ』みたいで、あそこは異界だな。ミック、行こうよ・・・・


と、隣の席に座るMの声が返ってこないので、顔を横に向けると、お休みになっていた。

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個性的な出演者のステージを楽しみ、トークは二回行い、雨を心配した音楽祭も無事終わり町に戻り、出演者のジャズ・ミュージシャンのTOKUと共演者のギタリストの小沼ようすけと彼らのマネジャーたちと塩尻市内の台湾料理屋の座敷にあがった。

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MはTOKUともようすけとも仕事をしている関係。ぼくはまだ西麻布に〈アムリタ〉があったころ、TOKUが毎月一回主催していたセッション・ナイトの常連客だったので、彼と会うのは数年ぶりで、しかも、こんなところで共に深夜に食事する縁があったとは。感慨深い。

音楽祭のステージもよかった。『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』を彼はチェット・ベイカーを彷彿させる唱法で歌った。

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その台湾料理屋は去年、山を下り町に戻ったのはいいが、深夜だったので、どの店も閉店してるなかで、Mが奇跡的に見つけ出した店で、今回は最初から、そこを目指した。

辺鄙な場所にある料理屋なのに台湾人が働いているので、どの料理も優れた味をしていて、特に豚足のうまさたるや、全員感嘆した。

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話題は音楽祭の出演者のひとりで陽水の『リバーサイド・ホテル』の替え歌で「誰も知らない八代亜紀の素顔」と歌っていた嘉門達也、サツマイモの天麩羅が大好物だという内田裕也、旅館では寝ないらしいムッシュ、ソープの愛人を殺害した克美しげる、笑いが過激だったタモリ、ディナーショーを開いたミッキー・カーチスときてチェット・ベイカーとMの交友に及び、若いミュージシャンのふたりはアウトローの秘話に興奮している。

話しを聞きながら、ぼくは以前、ぼくが責任編集をつとめた雑誌に、そのエピソードを執筆してもらったことを思い出していた。タイトルは『スケルトン・ジャズ・マン』。

それは、こんな話しだった。一部抜粋転載。


-------サンフランシスコでの数日間でいろいろ話すうちに、僕が「アルバムを一枚作りたい」と言うと、簡単に「いいよ」と答え、「レコーディングもいいけど、俺を日本に連れてってくれよ」と言葉を続けたチェットとの約束を果たし、チェットが来日したのは1986年の3月。今改めてこうして原稿を書いていて思うのは、それから死ぬまでの時の流れを考えると、人間の時間に対する記憶なるて実に曖昧なものだということなのだが、成田に到着した時に小さなボストン・パッグとトランペット・ケースしか持っていなかったチェットの姿だけははっきりと脳裏に焼きついている--------


食事と歓談を終え、湘南に住むようすけたちは車で町を去って行った。

ぼくらは去年と同じように歩いてホテルに向かい、途中、去年と同じようにコンビニにはいり、男3人、80円の沖縄アイスを買い、食べながら歩いていた。

国道沿いには異様に巨大な造作のショップが建ち、無人の町のその夜景は非情でホラー映画的だった。

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ホテルに戻ると、ロビーで出演者の元古井戸の加奈崎芳太郎と元ガロのその風貌がイギー・ポップそっくりになっていたマークが缶ビールを飲んで歓談していた。 それも、映画的だった。

クラシャン・トークで話した「帰る旅路」の途上のひとつの光景にも思えた。


翌朝、Mが興奮したように語る。


M : 昨日、テレビ見てたら、凄い面白い番組やっててね。それはアマゾンに住むある種族のドキュメントでね。その種族には過去とか未来という時間の観念がなくて、今しかない。いま、目の前の川で魚をとる。それを食べる。それしかない。過去を振り返り悔恨することも、未来の計画、未来への不安もない。

M’:  ミクロネシアのポナペの人たちの言葉には過去形も未来形もないんです。すべては現在形です。

M : それで、白人宣教師が25年も彼らと住んで、宣教しようとしたけどできない。で、その白人は自分たちの社会が間違っているかのかもしれないと思い悩む。

M’:  それと同じ話しを知ってます。インカ系の種族は、過去は見えるから先にある。未来は見えないから後ろにある。白人の考えとか逆なんで、やはり、宣教できなかったという。

M : そんな感じだったな。

M’:  だから、ミックの言ってた『ギター・イン・スペース・エイジ』は、ホントに未来なんです。でも、ホントは「未来」も「過去」もないのかもしない。「未来」があるとしたら、もうぼっ壊れて使い物にならなくなったロケット程度かもしれない。

塩尻駅でMは名古屋行きの列車に、ぼくは新宿行きの列車に別れて乗車した。

Mは名古屋から京都へ、ぼくは立川から横浜へ。

別れ際、「じゃ、28日」とMが言った。

数日後、箱根強羅に一緒に出かける。また、山の中に。

八月の終わり、早くももうすっかり秋の気配がやってきていた。

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