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クラブシャングリラ

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TACHIKAWA “MICK” NAOKI
&
MORINAGA “MACKENZIE” HIROSHI'S
CLUB SHANGRILA2012
@六本木〈一億〉
2011年12月13日収録

Web版シャングリラの2回目は、60年代の終わりから六本木の同じ場所で営業をつづけている〈一億〉を選んだ。

かつてサンタナがここのトーフ・ステーキが大好物でひいきにしていた。

トイレには三浦憲治撮影によるサンタナと横尾忠則とマスターの仲よし写真が飾られている。

約束の時間より20分早く着き、店にはまだ客もなく、マスターとふたりで話した。

ティモシー・リアリーが客でやってきたときのエピソードを聞いた。ティモシー・リアリーは5階にあった自宅まで来て、いろいろ話したけど、「なんか呆けたただのオッサンだった。そのときの写真あるよ」と述懐する。

そんな話をマスターから聞ける店が最高だ。

何10年ぶりかで店にやって来たミックは「変わってない」と驚いていた。

〈一億〉、好きだなぁ。この店には思い出がぎっしりつまっている。

一億地図

M’(森永)昨日、東銀座の〈シネパトス〉でショーケンの映画見たんですよ。

(立川)何、見たの。

M’いまショーケン週間がはじまって、しょっぱな斎藤耕一の『約束』。

岸恵子だ。

M’ショーケンと共演してて。

あれで確かふたりはできちゃうんだよ。

M’すごい映画だったな。見て思ったんですよ。確かに黒澤、溝口、小津安は日本映画の至宝かも知れないけど、ぼくは『約束』もすごいなと。

斎藤耕一ってすごいよ。『津軽じょんがら節』もそうだろ。

シネパトス

M’そうだ。で、もう全篇ニューウェイブの感覚。それも韓国とか香港、中国、台湾の映像派の監督に実は影響与えてるんじゃないかな。

ヌーヴェルヴァーグだよ。あの人、過小評価されてる。題材がちょっと甘いから、日本人て甘くてウェットなものって低く見るじゃない。

M’映画ジャーナリズムはそうだった。

フランス映画でもさ、いまはもうほとんど顧みられないジャック・ペランの『未成年』とか『若草の萌える頃』とか、甘ったるい青春映画に想われちゃったんだよ。

M’どうして?

当時だと、左翼系の批評がはやってたから、『未成年』あたりだと、金持ちの坊ちゃんが主人公で、ブルジョワジーは嫌悪されてたんだよ。

M’映像美への評価なんてなかった。『約束』の映像は全篇、極だってる。シャープで。

ヨーロッパ志向だろ。

M’音楽でいうと、ポール・ウェイラーみたいなカッコよさだった。

日本映画の系譜たどっていくと、伊丹十三さんも、なんかちょっと金持ちっぽくて、映画業界の人からは嫌われてたね。そういう意味では大島渚の方が上をいっているように思われてて。伊丹さんはスポーツ・カーに乗って、〈キャンティ〉通ってたから、もうそれだけで、あの人はちがうって。

M’映画界は独特ですね。

組合運動っぽいんだよ。そういう意味では、最近見てビックリしたのは川島雄三の『幕末太陽傳』。日活創立100周年記念で、デジタルで完璧に修復されたの。

M’ハアー。それビデオで。

いや映画館で上映するの。前からぼくら『幕末太陽傳』好きだって言ってたけど、改めて見て、すごい。動きが洒脱だよ。

M’フランキー堺の動き、笑えますもんね。

あれアップがないんだけど、ラスト、市村俊幸がでてきて、フランキー堺に「おめえ何処行くさ」って言ったときだけ、すごい顔のアップになって、気持悪いんだよ。

M’女郎は南田洋子と、誰でしたっけ?

左幸子。

M’あのふたりの大喧嘩もすごい迫力で。

ちゃんと遊び感覚がある映画っていい。

M’ちょっとずば抜けてる。

日本映画の系譜の中で、黒澤や溝口とはちがう別格感があるね。

M’外国人にはわからない洒落っ気ね。アナーキーだし。

アナーキーだし、パンクだし、エレガントだし。

M’だけど斎藤耕一じゃないけど、川島雄三は鈴木清順とかに比べたら評価低いよね。

洒落すぎてると評論家にうけないんだよ。

M’テーマも色事だし。

ドロドロしてないしな。

M’この間、ビリー・ワイルダーにキャメロン・クロウがえんえんインタビューしてる本を読んだのね。

そう。

テープ
シネパトス

M’『ビリー・ワイルダーならどうする』って。トリフォーがヒッチコックにインタビューした映画術と同じような。その中で、ビリー・ワイルダーがアカデミー賞の批評していて、受賞作品は社会派にかたよってると。コメディーは低く見られてると。だって、『お熱いのがお好き』なんて傑作ですよ。だからアメリカでも同じ。

『幕末太陽傳』の映画としてのすごさは、フランキー堺から裕次郎、岡田真澄、南田洋子、左幸子、小沢昭一ってあれだけたくさんの役者が層をなして出演してるのに破綻してないわけよ。

M’ビリー・ワイルダーの映画も、どんな端役でも印象にのこるセリフや演技をさせてるらしい。

最近だと、マイルス・デイヴィス五重奏団のヨーロッパ・ツアーのときのCD3枚、DVD1枚組みもすごかった。

M’それはいつの?

1967年。

M’やばいね。メンバーは誰なの?

マイルスにウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス。次から次とメンバーを変えるマイルスとしては一番長くつづいた五重奏団なんだよ。聴くと、コレ聴かされちゃったら、あとどうすんのって。スタイリッシュだし、パワフルだし。だから、結局、新しいものとか古いものとかっていう概念なんて意味なくなっちゃう。要は現物と関わりあいたいわけじゃない。

シネパトス

M’多分、いつ制作されたかってことより、今見て、聴いて、読んですごいと感じたものが一番最新ってことだよね。『約束』も『幕末太陽傳』も。

そりゃ、そう。

M’だっていま作られてるどんな映像よりもすごいんだもの。

あのさ、役者の腰がちがうんじゃないかな。ジャズもそうだよ。

M’それと、ぼくら60年代にそれを見た聴いたっていったって、それを享受する環境が劣悪で、映画だって、下手したら一回しか見てない。だから、体験したっていったってたかが知れてる。

だからいまぼくはうれしくてしょうがない。

M’きっと映像はいまですよ、体験できるの。

そのマイルスのも、1967年の10月から11月にかけて、パリ、ストックホルムの映像も見れるんだよ。それも撮影、何も凝ってない。ただのドキュメント。それがいま見れるってすごいことだよ。

M’それはすごくピュアなものでしょ。純度の高いドラッグみたいなもんだね。

彼らはピュアであろうとしたわけじゃなくて、ピュアでしかいられなかったってことだよ。

M’どういうこと。

MJQのジョン・ルイスがいった有名なコトバがあるんだけど、「自分たちが25年間一生懸命働いて稼いだ金をビートルズはたった1年で稼いだ」っていう。そのぐらいロックとジャズに経済格差があったわけじゃない。その格差があったからジャズのピュアさが保たれたのかもしれない。

M’2011年って、そういうことに気づかされた年だったね。ジョージ・ハリスンも再発見できたし。ビートルズでいえば脇役でしかなかったのに。

食べ物に喩えると判りやすい。料理ってさ、何万円のものと何百円のものと実は差なんてなくて、食べたいときにはまって食べればどんなもんでも旨いんだよ。それを何万円だからおいしいなんていってる人は野暮だし、安きゃいいって言ってる奴もダメだね。

M’だから自由なんだよ。

この前、京都でね、割ぽうと高級居酒屋の中間ぐらいの店に行って、フグのあら煮食べたのね。フツーないよ。

M’ぼくもこの間、京都に行ってて、久しぶりに〈東華菜館〉に行ったの。水餃子、うまいね。あの建物もいいし。

だってあれヴォーリズだから。

M’ヴォーリズって。

フランク・ロイド・ライトと同じ日本びいきの建築家でね、〈東華菜館〉も、あと東洋英和とか、ああいう質実剛健な建物を建てた巨匠だよ。

M’あれ程の建物はもう中国にもなくなってきた。あそこ北京料理でしょ。

あそこは何でもないものがうまいんだよ。だけど京都の人も忘れちゃってる。何年か前に京都の友だちに、〈東華菜館〉行こうよって誘ったら、おれも30年ぐらい行ってないよって。行ってみようよって行ったら、けっこういいじゃんって。

M’ホント、素晴らしいですよ。京都と北京って、ファンタスティック・プラスチック・マシーンの田中君も言ってたけど、似てる。歴史さかのぼれば京都のルーツには中国があるし、重なってくるの。そこで北京料理食べるのは格別な気分なの。

わかる、わかる。

M’大阪じゃマッチしない。

〈東華菜館〉はいいよ。ホントに。

M’忘れちゃってたのがね。だから思うんですけど、さっきも言ったけど、いろんなことにぼくらはひっかかってきたけど、実は素通りに近かったかなと。

奇縁まんだら

ひっかかってる方のぼくらも、実はそんなに深くは入ってなかった。でもいまぼく楽しくてしょうがないのは、自分の時間ができると、例えばセロニアス・モンクのパリのオランピア劇場のライブ盤を聴くとするじゃない。出たときに一回聴いただけなんだよ。それをいま改めてジックリ聴き直すと、こんなだったのかと。だからいま楽しくてしょうがないし、それをいまこうしてふたりで話してると、さらに楽しくてしょうがない。

M’もはや情報じゃないんだよね。

もうあるもんだしね。要は20歳ぐらい年上の人がピカソすごいよって話してるのと変わらないんだよ。

M’そうそう。あとね、この間、図書館で瀬戸内寂聴の『奇縁まんだら』全3巻借りたのね。

奇縁まんだら

あれ、魅力的な本だよね。

M’文章もすごいけど、何がよかったかって横尾(忠則)さんの描いた肖像画。いやー、もうたまんない。

ぼくはあの原画、金沢の21世紀美術館で展示されてるの見たよ。

M’生き写しですね。力作です。

ぼくらからみると横尾さんと篠山(紀信)さんはむかしから知ってて、いまも現役でね。篠山さんの新しい写真集でたろ。

M’『ATOKATA』。

圧巻だろ。

M’岡本太郎って何かちがうなと思ってて。ぼくやっぱり、『奇縁まんだら』見て、横尾さんが好きだったんだなと。ぼくたちが好きな絵って、まさにあの感じ。若いころ横尾さんに刺激されて、ビートルズ描いたみたいな。すごく自由なんだよ。

横尾さんとか篠山さん、それに宇野(亜希良)さんって自由なんだよ。3人とも若いし。権威でもないし、会社なんてつくらないで個人でやってるしな。

M’田名網(敬一)さんもそうです。ひとりでできることをやりつづけていくって言ってた。

案外、ぼくらの世代の人たちがバブルの波にのって会社つくっちゃったりしてたんだよ。会社大きくしようとしたり。それ、まちがいだね。

M’ホント。でも思ったけど、みんな情報追いかけて、それ「知ってる」ですませてきたけど、もういま情報は殺伐としてきて、下手すると情報に殺されかねない。じゃなくて、それをホントに好きであれば、愛してればいくらでも眼の前に現れてくる。それで自分が何を求めてるか、自分の中で簡単に答え見つけられるよ。

みんな生きることに焦ってるんじゃないの。

M’「それ、好き」でいいんじゃないかな。流行じゃなくて。「むかしからそれ好き」で。

もの好きでいいんだよ。

M’それにぼくらの好きなものって、高額じゃないでしょ。映画、音楽、本、どれも。

いま飲んでるワインだって一本3000円だろ。

M’いっぱいいくらでいったらね。うまいし。

結局、お金の価値観で、いくらだから価値があるなんてとっくに終わってるのに、まだそれにしがみついてる人いるんだよ。

M’この間、久しぶりに横浜行ったのね。

何か見に?

M’横浜に〈CLUB SENSATION〉っていうライブ・ハウスがあるの。そこやってるの、元テンソーのミチアキとグリコなんだけど、そこでチーボーさんがライブやるって。

チーボー

チーボーってパワーハウスのね。

M’そう。いま64歳なんだけど、新しくSKA9っていうスカのバンド結成して、そのライブ見に行ったの。めちゃくちゃカッコよかった。64歳とは思えない。

いま生きて現役でやってる人のすごさをもう一回考えた方がいいね。

M’ちょっとオーバーにいうと、神に近い人もでてきてるね。

ぼくも金沢に行くと最近、仙人っていわれてるよ。

M’老いぼれちゃいないしね。

『幕末太陽傳』の話にもどると、すごくうれしかったことがあったんだよ。

M’どういうこと?

日活の録音技士に橋本文男さんていう人がいるのね。ぼくは40年前に、ロマンポルノの仕事やってて、橋本さんと一緒に仕事してるのね。橋本さんは日活の裕次郎の映画も全部やってて、『幕末太陽傳』にもクレジットされてるのね。今度も橋本さんが音声修復をやったんだよ。いま80歳ぐらいかな。それがすごくうれしかった。

M’いい話ですね。

うん。うれしかった。

トークを終えて、西麻布の〈PB〉に流れた。まだ客もいず、ジックリ、音楽鑑賞しようと、ミックが選曲する。

初めにストーンズの『テル・ミー』を聴いた。アルバムを手にとらなくても、何曲目かミックの頭にはすべて入っている。

ストーンズから今度はヤードバーズへ移った。『ハートフル・オブ・ソウル』を聴いた。その後、アニマルズへ。『朝日のあたる家』を弾くアラン・プライスのオルガンは早やプログレッシブだし、エリック・バードンの歌唱は誰よりもまさる声量と表情を誇っていた。

アニマルズからウォーに移った。

ウォーの『ペイント・イット・ブラック』をミックが選曲し、主人のフクちゃんもぼくも心酔した。

客が二組やって来たので、鑑賞会を終わりにし、表に出て、路上で「じゃ、また」と握手して別れた。

もう一軒ひとりで地下のバーに向かう途中、頭の中で、ウォーの『ペイント・イット・ブラック』が2011年の終わりを飾るかのように鳴り響いていた。

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