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TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 16
2013/6/24収録
@Singapore Seafood Republic(品川)
M :が田名網さんと席を共にするのは初めてだ。1967年には、本人に会ったわけではないが、銀座のディスコティック<KILLER JOE’S >でM :は田名網さんのサイケデリック・アートを目撃している。田名網さんから頼まれてM :は作品集『BLOW UP』に、そのころの体験を執筆し寄稿している。
それ以前にはぼくが編集を担当した立川直樹インタビュー集『虹色の望心鏡』(八曜社・刊)のデザインを田名網さんがしている。
Mは田名網さんの個展のオープニングにはたびたび顔をだし、軽く言葉を交わしている。
席は品川駅前<Singapore Seafood Republic >のスモーキング・フロアーに予約した。
時間は7時。先にMが、30秒おくれで田名網さんが現れた。200席ほどの店内は満席だ。平日で、この栄え。
「凄いね!」
田名網さんは連発する。
「品川、面白いね!」
ぼくが田名網さんと出会ったのは1970年。そのころすでに仕事をし、田名網さんにスーパーポルノチックな紙芝居『一寸法師の冒険』を描いてもらった。
実は、1970年には、大失敗に終わったロック・フェス<ROCK in HIGHLAND>の主催に
M : とぼくは参加し、そのときのポスターを田名網さんに描いてもらっていた。
3人共健在で、品川のレストランに集合した。
三者で飲食するのは初めてのことだが、旨い物に活気づけられ、サラーッと会話は走っていった。
バンドとしちゃ、サイコーの面子だった。
では、一夜の飲談を、ご鑑賞ください。
M(立川直樹) : 田名網さん、何、食べますか?(メニューを見て)えーと、ウチワエビがあるね。
M’(森永博志) :それ、いきましょう。
T(田名網敬一) :それ、旨い?
M’: 旨いですよ〜。ぼくら長崎の大村で食べたもんな。
店員 : アジツケハ? ネギショーガカニンニクショーユ、イカガイタシマショウ?
M’: ネギショーガ!
T : エビセンはある?
M’: 田名網さん、大好物ですもんね。
M : 他には?
M’: カニはブラック・ペッパーですよね。
M : チリじゃなくて?。
M’: ブラックペッパー・クラブが一番です!
店員 : サイズハイカガイタシマスカ? イチバンオオキイノガヨコヅナデス。
M : その下、大関だな。
T : あと、いつも食べてるエビ、何だっけな、食べたいな。
M : 湯びき、ありますよ。
T : それ旨そうじゃない。
M : じゃ、エビの湯びき。それと野菜、ちょっと食べたいですね。
店員 : イマダト、カントンハクサイガアリマス。
T : それ、いいね。
M : それと、オイスター・ケーキね。ひとまず、それくらいで。しかし、夏は、こういうところがいいね。
M’: 環境もいいし。
M : 前はこういう店、東京にはなかったね。
M’: 田名網さんは今度シンガポールで個展やりますよね。
T : 8月に。(紙袋から案内状をとりだし渡してくれる)
M’: (手にし)この作品、凄い!かなり凄い! NYでもやりますね?
T : 9月にやる。
M : ふたりが作った本、面白かったね。
T : あ、あれね。面白い。
M’: 『幻覚よりも奇なり』。すごい時間かけましたもんね。京都行って、香港行って、ドイツのシュトゥットガルト行って。でも、勉強になったな。シュトゥットガルトの美術館で、ウィーン・アクショニスム展見ましたもんね。
T : 見たね。あれは凄かった!。
M’: へルマン・ニッチにオットー・ミュールですね。しかし、ぼくら三者各々の関係も長いですね。
T : エビセン、旨い!
M’: 本当に田名網さん、エビセン好きですね。シュトゥットガルトの中華屋でも食べてたし。
M : ぼくね、先週びっくりしたことがあってね。
M’: 何?
M : ぼくなんかいまだに、音楽聴くのは基本的にCDなんです。あと車は2CVという古いのに乗ってるからカセットしか聴けない。だからCDとカセットで聴いてるんですね。ところが、この間知ったんだけど、Googleが9.99ドル払うと1ヶ月間に数百万曲聴き放題、1ヶ月1000円ですよ。それってヴィジュアルがもう何も見えないってことですよね。
M’: アナログ盤のレコード・ジャケットが消えて、今度はCDジャケットが消えて、要はジャケットは制作費かかるからですね。
(田名網さんは運ばれてきた料理を夢中になって食べている)
T : コレ、何?
M : オイスター・ケーキです。台湾の屋台料理のシンガポール版です。
M’: 味がしまってきたな。料理人かわったね。
T : 森永君は、よく来るの?
M’: ここはたまにです。いまは芝浦の<はるみ>っていうホルモンの店にしょっちゅう行ってます。
M : 明日、ぼくは、このweb見て「連れてって」って関西在住の門上武司さんていうグルメ・コラムニストに言われて、いっしょに行くんです。
T : しかし、森永君とは<アイララ>によく行ってたね。毎晩だったな。
M’: 仕事終わるのが夜の12時とか。それから集合して、遊びに行くんですね。
M : いつごろの話?
M’: 70年代後半。朝まで遊んでた。
T : 朝、7時頃、家に帰ってくるでしょ。そうすると、ポストにその日の飲み代の請求書が入ってるの。
M : えっ!
T : 近所に<アイララ>で働いてる女の子がいて、帰りに請求書を投函してくのよ。
M’: あのころ、田名網さんは40代?
T : そんなとこだね。
M’: 毎日目いっぱい仕事して、夜中毎晩、遊びに行くんですね。ソープランドもよく行きましたね。あの大木戸の。
T : よく行ったね。しかし、ひどいことしてたな。
M’: 歌舞伎町のキャバレーにも行ったし。
T : よくあれでやってたよな。
M : やっぱり、レコードも雑誌も売れてたんですよ。
M’: だってあのころ田名網さんA.Dの日本版『PLAYBOY』、100万部ですもんね。お札刷ってるのと同じですよ。
M : 『POPEYE』で60万部でしょ。
T : だってね、『PLAYBOY』でアメリカ取材に行ったときね、帰国前日に編集者が「田名網さん、大変なことがおきました」ってあわててんのよ。「どうした、金が足りなくなったの?」って訊いたら、「金が余っちゃったんです。今日中に全部使わないと、大変なことになる」ってね。使い切らないと、次から取材費大幅に減らされて、それじゃ編集部のみんなにうらまれるって。それで、俺、言ったのよ。「もっと前に言わなきゃダメじゃない」って。一晩じゃ使い切れない金額なのよ。でも、必死に、ルームサービスでキャビアだロブスターだ一番高いシャンパンだ、とにかく高いもの全部とってね。でもそんな程度じゃ全然、お金が減らない。しょうがないから、ベッドのうえでみんなでわけちゃった。
M’: いまは海外取材に行っても、ホテルの部屋の冷蔵庫の飲み物に手をつけちゃいけないんです。
M : 前はスタイリストだってハイヤーだよ。
M’: ローリング・トゥエンティースみたいなもんだったけど、1929年の世界恐慌で終ったみたいな。
M : ちゃんと正しいものが売れてた時代だったけど、いまはITになって、見えないところのものにお金が流れていったのが一番まずい。
(ここでブラックペッパー・クラブがでてくる。iPhoneで撮影)
M’: いやー、実にワイルドな料理ですね。
T : 何、森永君、写真みんな撮ってるの?
M’: 気分はアンディ・ウォーホルなんです。
M : もう戦場カメラマンみたいなもんです。この豪快さがいいんだね。
M’: 見た目、凄く男っぽいでしょ。海賊だね。コレ、カニミソ使ってんだ?
M : カニミソとブラックペッパーだね。
M’: いやー、グロテスクだな。
M : あの『幻覚より奇なり』って何年前?
M’: 3年前?
T : 2年前かな。
M’: あれは田名網さんと、出版社決めないで作ろうってはじまったんです。インディースののりで作って。で、完成したテキストをリトルモアに持ち込んだら、一発で出版が決まったんですね。それでそのまま本にしようとしたら、田名網さんが「全部書き直せ」って。ドッヒャー!
T : そうだったね。
M’: 書き直したんです。だから400字詰め原稿用紙でトータル1500枚ぐらい。
M : でも要はメジャーでできる人がインディースやるのが一番面白いんであって、メジャーでできない人のインディースってぜんぜん面白くない。
T : そりゃそうだ、ホントだ。
M : たとえばいまぼくは宝塚の月組のトップだった霧矢大夢さんのソロ・アルバムをプロデュースするんだけど、普通はメジャーのレコード会社から宝塚のときの歌をうたったのつくるじゃない。ところが、インディースでやりたいっていう話がぼくにきて、だったら男役だったから、半分はデヴィッド・ボウイやろうってなったんです。
T&M’ : あーあー。
M : それで、インディース。何の規制もない。でも手売りでけっこう売れちゃうんです。そのあとメジャーと組めばいい。
M’: 田名網さんの16ミリのアニメはすべてインディースですよね。
T : インディースの極致だよ。
M’: それが今度、ニューヨークのブロードウェイの世界で一番使用料が高い広告塔で流れる。それはインディースのころの作品と内容は同じようなもんですね。
M : 結局、つくった作品がずっと評価されてるってことだよね。ぼくはいまね、60年代後半の、あのアンダーグラウンド全盛期の自由さが、もしかしたらクリエーションにあるような気がする。
M’: たしかに、このwebもそんな感じですね。こんな自由なメディアはないね。それに、雑誌でやってたときより進化してる。
M : いやー、やっぱり旨いな。蒸しパンにカニミソつけると。マッケン、甲羅の中にパン、突っ込んじゃえよ。
M’: この背徳的な感じがいい。食べる道具もSMっぽいし。クローネンバーグの『戦慄の絆』だ! グロだな。
M : だからママごとみたいなフレンチで、わけのわかんない金とられるようなとこへは、もうみんな行かないよね。
T : あー、やだね、ああいうのは。ここはまずいものがないね。普通、一点ぐらいは口にあわないものがあるんだけど、ここはないね。
M’: 田名網さんは大々的な回顧展やってもいいのに、やらないですね。この間の<STUSSY>もそうだけど、ストリートに直結してるとこで新作発表したり。80年代のニューヨークの<FAN GALLARY>みたいな。それが、若い人にウケてるんでしょうね。殿堂入りはしない。
M : <NANZUKA>とは長いんですか?
T : 5年ぐらいかな。
M : ずっと渋谷のあそこですか?
T : そう。南塚君は若いけど凄くしっかりしている。
M : いくつですか?
T : まだ30代かな。宇川(直宏)君に言われてギャラリストになったのね。
M’: そうですね。最初は宇川君のオフィスといっしょにやってましたね。アートの仕事とか、インターナショナルなものは若い方がいいのかな?
M : ぼく思うんだけど、ぼくらが30代のこと振り返ると、ヴィスコンティがいいと思えば自腹でローマまで行っちゃったり、平気でしてた。
M’: ぼくもウォーホルのとこ仕事たのみに行ってた。
M : だろ。それがいまだと、無暴さはやっぱりなくなるよ。無暴というのは若さと正比例していると思う。
M’: ないね。もう、無暴さは。
M : 同世代の中では、ぼくたちはまだある方だけど、自分たちの30代と比べたら、ないよ。
M’: ない。女性に対しても。何に対しても。
M : だって、さっき、カニは横綱にしますかって訊かれて、引いたもんね。
T : 60代になったらだいたい消えてるよ。
M’: ミックは<NANZUKA>に行ったことある?
M : 何度か、田名網さんの個展に。あの地下空間が発酵してるんだよ。あの発酵感が凄い。あれは、なかなかないね。
M’: この間の<NANZUKA>での個展は面白かったな。田中小実昌のさし絵のエロ画は最高だったな。
M : あれはサイコーだね。
M’: KAWSが好きそうな。
T : KAWS、来てた。
M : KAWS?
M’: グラフィティー系のトップ・アーティストです。
T : 彼は、ぼくの作品のコレクターなんだよ。
M’: 現金持って買いに来ますもんね。
M : やっぱりアーティストって、やる場所の選び方ってあると思う。この間、宇野(亞紀良)さんの展覧会の案内状がきて、行ったら、恵比寿のツタがからまってる、それこそ立ち退きになってもおかしくないビルの中のギャラリーだったのね。そこに金子國義さんの絵にでてくるようなオネエちゃんがいて。「こういうことか!」って思った。ちっちゃいギャラリーだったんだけど、宇野さんがそこでやってもいいやって思った瞬間の、そのときの気持ちを思うと面白い。それは田名網さんにもあるんじゃないのかな。
T : 日本でも大規模な展覧会の話はいくらでもきてるんだけど、南塚君が断わってるのね。でも今度、ロンドンの<テートモダン>でやる大規模なポップ・アート展には出品する。海外の大きな美術館からくる話はやるけど、日本でのはやらないっていう方針なのね。
M : それは正しいマネージメントだと思う。
T : ぼくはやってもいいとは思うけれど、ギャラリストはちがう考えなんだよ。
M’: <STUSSY>は田名網さんぽかったと思いますよ。
T : ぼくはサブ・カルチャーが好きなんですよ。普通のギャラリーは、それを良しとしない。
M : サブ・カルが好きかどうかっていうところが大きなポイントだね。
M’: サブ・カルだとどうしても対象が若者になるから、缶バッヂとかTシャツとか画集とかポストカードとか買いやすいものをつくりますよね。
T : でも普通、ギャラリストは絵を売る仕事だから、そんなことばかりやってると売りにくくなるわけよ。
M’: ダリはMOMAでポストカードの売りあげナンバー・ワンというのが自慢だったんですけどね。
M : ダリはトランプもつくった。
店内はひとつの空席がないほどの盛況で、月曜日なのに異状なハイ・テンションだ。どうやら品川は、羽田空港が国際空港へと開かれるにしたがって、主にアジア系のツーリストが空港から直結する品川へなだれこんできているようだ。つまり、盛況のほとんどはツーリストだ。そのエネルギーが店内にたぎっている。人々は食らい、飲み、語り合っている。
T : この間、Kさんから電話あってね。金はいったから飲み行きましょうって。
M’: 何の金ですか?
T : メキシコに知り合いのオンナがいて、彼女の夫が大富豪だと。
M’: 凄い。『ガルシアの首』だ。
T : それで、離婚する話になってね。大富豪はマフィアのボスなんだよ。弁護士もマフィア。そこにKさんが調停にはいって、50億の慰謝料で話つけて。その手数料が1割! Kさん言ってたけど、ホントかどうかわかんない。1億ぐらいにはなったんじゃないの。金入ったから銀座でパーッとやろうって行ったら、こんなに(と言って親指と中指をひろげ7、8センチ)札束持ってた。
M’: じゃ、Kさんいまお金あるんだ。
T : ものすごくあるよ。
M’: じゃ、いまから呼びましょうよ。
T : 今日はいいよ。なんかKさん、離婚の調停が得意らしいの。それも大富豪の女が悪い男と一緒になって別れるっていうケースがもうかるらしい。
M’: 『白いドレスの女』のうまくいった版ですね。しかし、あの映画はまた最近も見たけど、何度見てもいい。
M : サイコーだよ。
T : Kさん、今度ヤクザの親分の役で映画でるんだって。いま ああいう人は、もういないね。
M’: 酒量は?
T : ものすごい飲む。Kさんて、75ぐらいだね。
M’: 田名網さんは?
T : 俺? 6。
M : スマトラの葉巻、吸う? 昨日、インドネシアから帰ってきた女の土産。
T : それはよく吸ったよ。葉巻は旨いね。よく吸ったよ。有名な葉巻だよ。太巻きもあるんだ。前はパイプに葉っぱつめて、ブランデーをふりかけて吸ってたね。それで吸うと旨くてね。
M’: 水パイプも、水じゃなくてブランデーいれて吸うと旨いですよ。
T : 立川さんは、毎日飲んでるの?
M : エッ!?
T : 毎日飲むの?
M : はい。抜いた日はないです。
T : 外で?
M : 基本的に夜は家で食事はしないんで、それで外で飲むんです。
T : かなり飲む?
M : 一定量に達すると、お酒が不味くなる瞬間があって、そのときやめるんですね。今夜は、もうやめようって。
T : 森永君は?
M’: 朝まで飲むときもあります。
M : マッケンとは飲み方、ちがうな。
T : 森永君はむかしから変わんないもんね。
M’: ミックは毎日ですよ。
M : 正確にはおぼえてないけど、25のとき、エイプリルフールの日に、倒れたんです。そんとき3日間入院して飲まなかったけど、3日目にお見舞いにきた女の子に病院の食事が不味いから、「<キャンティ>行ってマッシュルーム・サラダ買ってきて、白ワインも忘れずに」って。そこで二日間飲まなかっただけで、あとは痛風になったとき。だから、17,8から飲んでて、ぼくいま64ですから、64から17引いて、それに365かけて、マイナス10の日数、飲んでることになります。
T : で、糖尿とかは?
M : ないです。痛風だけです。
T : 凄いねー。やっぱり体丈夫じゃないと何事もつづかないよ。長い間つづけていくには。弱いと、ダメになるね。
M’: でも、いまでも変わらず飲んでるのはぼくらぐらいですよ。
T : そりゃそうだよ。
M : 絶滅してゆくインディアンみたいなもんです。
T : 誰もいなくなっちゃうんだよ。
M : が初めて田名網さんの作品を見たのは今を遡ること、46年前。アンダーグラウンド、サイケデリック、ハプニング、アートロックといった1967年のトレンドをぶちこんだ銀座のクラブ<KILLER JOE’S>でだった。
そこではオノ・ヨーコがパフォーマンスを披露し、Mはそこで頭脳警察をデビューさせた。アンディ・ウォーホルがNYのディスコ<ドム>でベルベット・アンダーグラウンドと仕掛けたライトショーを日本で先駆けて取り入れてもいた。
Mより1歳下のぼくは米軍基地の町の高校で、ある日、図書館で『毎日グラフ』に載っていた田名網さんのサイケデリック・アートを見て、衝撃をうけていた。17歳のときだった。
Mとぼくの感性はほぼ同時にサイケデリックの火花を散らせたのだった。
そのとき感受したイメージが、今夜いただいた、意味深なタイトルをつけたシンガポールの個展『Birth and Death Bridge』の案内状で、46年の歳月を超えて爆発していることに、また衝撃をおぼえていた。
ぼくにとっては、唯ひとり、その作品をもって神と呼びうる人である。