- TEXT:
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29
- 30
- 31
- 32
- 33
- 34
- 35
TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 27
2014年7月3日収録
@va-tout(六本木)&早雲閣(箱根)
真昼に六本木〈vaーtout」でトランペッターの近藤等則と会食をし、Mが近藤さんの今後の活動の相談にのることになっていた。
ぼくがふたりを会わせるという段取りだった。ふたりは知らぬ仲でもないが、会うのは20年ぶりくらいになるのか。
ぼくと近藤さんはマウイにいっしょに旅したり何かと親交ある仲。
約束の時間は12時30分。
くるのが、遅れている。
その間、クラシャン・トークをはじめた。
M : この間、ホドロフスキーの『リアリティのダンス』、見たよ。素晴らしいね。
M’: 中年夫婦の放尿プレイ! ホドロフスキーなんて、以前は超カルト監督だったのに、いまは一般メディアでも普通に話題になってて、変な時代ですね。もっとカルトなトッド・ブラウニングの『フリークス』も新橋文化でやってて、見にいったら、観客、若かった。『フリークス』はいま見るとコメディーですね。あれは、どうでした? コーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイヴィス』。
M : よくできているとは思うんだけど、ぼくにはいまいちだった。コーエン兄弟の作品にしたら、ちょっと、淡々としすぎてたよ。
M’: ぼくは面白かったな。オープニングとエンディング、同じシーンだけど、主人公のルーウィン・デイヴィスがネイティブ・アメリカンの酋長みたいな男に路地裏でぶちのめされて、「こんなごみ溜めみてえな街、てめえらにくれてやる」って吐き捨てるでしょ。あそこは凄い。だって、マンハッタンは先住民から50ドルでだましとったわけですからね。ニューヨークはごみ溜めなんですね。
M : あれ、デイブ・バン・ロンクっていうディランに影響を与えたフォーク・シンガーの自叙伝がもとになっててね、原作に気を使いすぎてたね。それまでのコーエン兄弟の作品っぽくないんだよ。
M’: ルーウィン・デイヴィスが首をつられるアウトローの歌をうたってたけど、あのへんはディランの『天国への扉』っぽかった。あれは自伝が原作?
M : そう。だから、あんまり映画的に遊べなかったんじないかな。ぼくはもっと毒があってもいいかなとは思った。
M’: 出てくる人物の結末を誰一人としてつけてなかったでしょ。ぼくはそこが面白かった。
M : 『リアリティのダンス』はマジック・カーペット・ライドみたいに、見てていて映画の魔術に酔えるじゃない。時間と空間をいじっても、あんまり複雑にしてないよね。最近、みんな時空をいじりすぎ。ジョニー・デップの『トランセンデンス』なんて、最初から最後まで、なんだかサッパリわかんない。それを誰かにいったら、「あれはゲームなんですよ。立川さんはゲームやらないから嫌いなんですよ」といわれてさ、「だったら、ぼくが見てもしょうがないんだよ」って返したけど。ホドロフスキーのプレス・シート見てたら、「映画が最高のアートだ」ってホドロフスキーがいっててさ。その通りだよね。あれはサントラも凄い。
M’: あとは、 ぼくは沖縄で見て、メチャクチャ面白かった。『グランド・ブタペスト・ホテル』。
M : まだ見てないんだ。監督がウェス・アンダーソンだから、絶対にいいはずなんだ。
M’: 痛快な映画ですよ。脇役の殺し屋のウィレム・デフォーが最高だった。そういえば、ディランの『ライク・ア・ローリングストーン』の歌詞書いた紙切れ一枚の原稿が2億円で売買された。その金額って、ケルアックの『路上』のオリジナルのテキストと同じ値段ですよ。でも一文字計算だと、それと比較になんない。
M : いままでの最高額がジョン・レノンの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』で、1億2千万円だった。そういえば、昨日〈PB〉に行って、フクちゃんと話してたんだけど、『ハイウェイ61リヴィジッテッド』はディランもアル・クーパーもギターのマイク・ブルームフィールドもみんなユダヤ系だから、あれはアメリカン・ジューイッシュのセッションだよ。ポール・サイモンもユダヤ系・・・
M’: でも、あの時代、ユダヤ系であるっていうのはかなりハンディになったみたい。サイモン&ガーファンクルもデビューのとき別のグループ名にするはずだったんです。ユダヤ系に対する差別がアメリカの中西部あたりにあって、ラジオでも流れなかったみたいで。下手したら不買運動にまでなった・・・
素浪人風情の 近藤さんが現れる。脱藩浪士たちの密会だ。まず、どんなことをしたいのか? 近藤さんが熱弁を振るう。
K : ぼくは18年間、アムステルダムにいて、鬱蒼とした森をつくりあげた。音楽の森をね。でも、ときどき、森から出てDJクラッシュと『記憶』を制作したり。
M’: ちょうどふたりがレコーディングしてるとき〈バー青山〉で会ってね。あのアルバムは画期的だった。いってましたもんね、近藤さんが。クリス・ブラックウェルがジャマイカでストーンするときの最高の愛聴盤だって。
K : ハッハッハ。あのアルバムがヨーロッパで10万枚、アメリカで5、6万枚売れた。次にビル・ラズウェルと『CHARGED』を制作して、それもヨーロッパとアメリカでそれぞれ5、6万枚づつ売れた。それから、端唄の栄芝さんと『The 吉原』を制作した。
M : あのアルバムは素晴らしい。いまでもときどき聴いてます。
M’: 俺も、あのアルバムは凄いと思う。完成したとき、六本木のクラブで近藤さんから、聴いてよといわれて聴いたんだよ。
K : あとはアムステルダムと自然の中で、みっつの活動をやってきた。まずひとつは自然の中で吹く。それが『地球を吹く』。
M : そのあたりのことは佐藤卓さんとの共著の『空の気』を読みました。あの本も素晴らしい。
K : ふたつ目がエレクトリック・トランペットの開発。みっつ目が打ち込み音楽の追求。そのみっつをやっているうちに、18年たった。それで、自分のスタジオで過去18年間分の録音テープを聴いていたら、CDにして40枚分くらいの音源があった。それが、いまいった森です。この森の木をなんとか世の中に出せないかなと。
M : 森全体をやる前に、まず、先日送ってもらった『サマータイム』の入っているスタンダードの一枚と、あと都はるみさんや倍賞千恵子さんとの共演も素晴らしいので国内・国外問わず歌唱力のある人とセッションしたアルバムを一枚、もう一枚は新しい世紀の音楽を追求したと近藤さんがいう打ち込み系とか、その森の木をまずは三本選んで切って、きれいに並べる。それから道をひいて、森を森林公園にしていくやり方もある。そこからやりましょう。近藤さんがもっとディープ・フォレストを出したいんなら、グラフィックや立体アートとのコラボで、例えば、シリアル・ナンバー入りの限定500のアート作品を作る。そこにCDが入っている。そうやって、ひとつひとつ森の木の出し方を考えてやるのは、どうか? と。
M’: いいな、木こりみたいで。凄い話しです。
K : あと、2008年だったかな。ヨーゼフ・ボイスのテープがアムステルダムから送られてきた。
M’: あー、いってましたね。それは凄いコンテンツですね。御神木ですね。
K : つまり、ボイスが1980年に来日したとき、どこかで講演を行った。そのとき秘書で随行したオランダの婦人がいて、彼女がぼくがアムステルダムに移住するときの身元保証人になってくれた。その彼女からボイスのテープが見つかったんで、近藤、それにトランペットを吹いてくれないかといわれて、吹いた。その作品はちゃんと遺族の承諾もえている。それもある。
M : それを出すんなら・・・
と近藤さんとのランチ・ミーティングは白熱した。
日本のジャズ界で華々しく第一線にいた 近藤さんは18年間、アムステルダムに隠棲していた。
しかし、その時代の地盤沈下的な音楽業界の地殻変動を鑑みると、逆に不毛な消耗もせずに、本人いうところの1トンのハッパにいぶされた鬱蒼とした音楽の森を作り育てることができ、移住は正解だったのではないか。それも異国における自分の孤独な創作活動を森に喩えるあたりは、ロマンティックな精神性を感じさせ、そこにぼくらは惹かれて、ぼくらは会っているのだろう。
近藤さんと別れて、Mの車で西麻布のMのオフィスへ。そこで藤田千恵子女史と合流し、一路箱根の〈早雲閣〉へ向かった。車中には今日のドライブのために用意したというCD、アル・クーパー『アイ・スタンド・アローン』がずっと流れている。
この1969年に発表されたアルバムは、当時の印象ではブルース色の強い作品だったが、いま聴くとかなり実験的な志向が強く、『サージェント・ペパーズ』やザ・バンド、さらにははやブラッド・スウェット&ティアーズ、さらには現代音楽、ミュージカルを想わせる多彩さで、男ふたり、女ひとりの自分たちがまるで1969年製のアシッディーな極彩色のマジック・カーペットに乗ってシャングリラに向かっている気分になった。
クラシャン2度目の〈早雲閣〉。旅館には前回も会食会に出席した星野君がいた。案内された部屋には葦簀の屋根付きの露天風呂が設備されていて、明るい時間に湯につかった。
森羅万象の輪郭のいっさいを排除した横山大観の「朦朧体」という画法の意味するところがなんであるか、ぬるま湯に浸かり、悟った気がした。
また近藤さんがアムステルダムで過ごした18年間の時の流れにも触れるような、そんな想念が全身にひろがっていった。
会食場の大広間には壁面全体に大観の赤富士を想わせる日本画が飾られ、さらに脱俗感は増す。
来訪者は四人。旅館側は主人のまっちゃん夫妻に番頭さん。全員で御前会議のように大テーブルをかこむ。飲食をどこまで知的に、官能的に享楽できるかの宴がはじまった。
酒はMが越乃寒梅の大吟醸、千恵ちゃんが純米吟醸の山本と純米吟醸のいずみ橋・恵、旅館が特別純米の丹沢山を用意した。まずは越乃寒梅を・・・
M : うまい! コレだね、コレ。このゴリと寒梅、合う!
M’: そら豆もうまい。
M : くらげの胡麻和も日本酒にすごく合う。
松 : 柏井さんという京都の歯医者さんがいて、その方が今度、『憂食論』という本をだすんですけど、それは立川さんと森永さんが話しているようなことを書いてて。ひとつには、食品偽装の騒動のとき、マスコミや評論家たちがいろいろ書いていたけど、如何なものか、という。
M : こういう場だから話すけど、今回のワールドカップの報道を見てるとマスコミは馬鹿だと思う。だって、勝てるわけないのに。今回、最初から日本はコンディション作りで失敗してたんだよ。
M’: 試合期間中、地元の飲み屋から人が消えたよ。あと、日曜日に知り合いが三浦海岸に行ったら、ひとっこひとりいなかったって。異常ですよ。それを異常と思わない世間がおかしい。
M : 怖いよね。
藤 それ、すごいですね。6月の三浦海岸にひとりもいないって。
M : しかし、越乃寒梅は王道の酒だね。
藤 越乃寒梅と〆張鶴は時代関係なく。
M’: 40年くらい前は、越乃寒梅は年間で20本ぐらいしか東京にはいってこなかったけど、いまはどうなの? 大吟醸は?
藤 わたしの知ってる蔵で、獺祭という蔵が一万石くらい。一石が一升瓶100本の計算です。すごく極端な話しですけど、ひと昔前は、大吟醸酒造るにも体力のない蔵がたくさんあったんです。というのも、吟醸酒は、お米を買ってきて、半分削らないと造れない。それで、35パーセントの精米率だと、65パーセントが糠で落ちちゃうわけです。そうすると、ある程度の資本力と販売の見込みがないと、大吟醸は造れなかった。
M : いいね。こういう話しを聞きながら、お酒を飲みたい。
松 : 日本酒がありがたいものに思えてくる。
藤 獺祭は吟醸酒しか造らない蔵なんです。ここはもう凄い。画期的です。
M’: 歴史は古いの?
藤 10年くらい前には山口の山奥の小さな酒蔵というキャッチフレーズだったんです。で、社長さんがこれは本にも書いているから話してもいいと思うんですけど、お父さんから継いだ当初は家族の寝顔を見ては「果たして食わせていけるんだろうか」って不安にかられる時代もあったんです。そこからの逆転劇が凄いんです。お米を77パーセント削って、23パーセントまでもっていった。
M’: もう、ギリギリだ!
星: 芯だけだ。
藤 23パーセントにして、日本で話題になった。その前にも28パーセントまで磨いた別の蔵があったのですが、そのお酒は、磨きすぎてボディが細いという印象でした。でも獺祭の23パーセントは安定していて、それをずっと貫いている。
松 : なるほど。
藤 次に出てくる山本という秋田の酒は、確かブームの宮沢さんや小野リサさんが所属する音楽事務所で働いていた方で、蔵を継がなきゃいけなくなって帰郷したんです。夜中、ひとりで麹の手当てをするときにビートルズを聴いているらしいんです。 (酒瓶を見て)
M’: 山本という書の字がとんがってる。勢いというか。
藤 で、蔵元が自分でお米も造って、それで仕込んだのが山本。越乃寒梅が大人の格調だったら、山本は若者の主張みたいな。しかも、季節感でいうと、春にしぼってというお酒です。 (山本を飲む)
藤 おいしい。すごく鮮やかになりませんか、味が。
M’: 確かに、一口でパキーンとくる。目が冴える。
M : ねえねえ、これ、日本酒だけど、ミントの葉を一枚いれたら、どうかな?
藤 あっ、いいですね。これ、串カツとか揚げ物も合います。酸も高いから、油を切るんです。このあと、お造りだったら、寒梅に戻った方がいいと思います。
M : 山本は飛騨ステーキのときに、またいいね。
藤 鮎のあとには丹沢山がいいかも。あとダブル・ヘッダーでステーキのときには、いずみ橋・恵のお燗をするといい。最近、酸の高い日本酒は、お刺身よりも肉やサラダに合うものも多いと感じているんです。
星: 日本酒こそ刺身に合うと、日本人は思ってますよ。
M : 最近ね、飲むと生臭くなる日本酒とかある。そうなると、シャンパンなんかのが、まだ、お造りに合う。 (刺身を食べるにあたり)
松 : 梅肉、用意したよ。しかも、青い梅の。
M : 鯛とかは、梅肉で食べたらうまい。
松 : これはうちの板前が市販の赤い梅じゃなくて、梅の実から炊いて作ったものだから。
M : 寒梅ください。
M’: だんだん佳境に入ってきましたね。鮪は醤油。あとは梅肉。
松 : 梅肉で食べたら、もう、塩じゃないよ。
M’: 鱧は梅肉と相場が決まっているけど、青梅ははじめてだね。うまい!
松 : どこも塩で食べさせる時代になって、その塩信仰が最近、食文化の邪魔してる。
M : 料理っていうのは、ぼくら食べることしか考えていないけど、料理人が大変な思いして作ってくれたものは大変においしい。
藤 ホントに、そうなんですよね。
松 : 青梅を10キロだったか買って、それを炊いて、こういう状態にして冷凍しておいて、出すときに、ダシと合わせてね。
M : 京都はいまちょうど祇園祭の時期で、町屋に呼ばれて行くと、青梅のちょっと炊いたやつが、きれいな器にふたつぐらいでてきて、それで日本酒を飲む。そういう感じなんです。
松 : 赤いのじゃだめだよ。板前曰く。赤い色がついてるのは本物じゃない。
M : いや、すごくうまい。
M’: ジャムのような、見た目もきれいだね。
藤 日本酒こそ食中酒です。
M : ワインよりも、そうだよね。でも、日本酒って合わないと思ったときには変えてもらったほうがいい。合わない日本酒飲んでると、ぜんぜん食事もおいしくなくなる。
松 : 確かに、さっき飲んだ山本は刺身といっしょに飲んだらおいしくないと思う。
藤 ホントに適材適所で、鮮やかな人には鮮やかな仕事がある。
M : これは丹沢山? うまいね。
M’: 賀茂茄子、めちゃくちゃうまいね。こんなのはじめてだ。
M : 丹沢山いいわ。でもいきなり丹沢山だと、ちょっと。
藤 そうですね。乾杯のときだと、ちょっと勢いに欠ける。気だてはいいんだけど、スターターよりは、食の中盤ですね。
「卓上の物見遊山」の感あり。
語りの調子ものってくる。酒を変える度に、新たな感興が即効で訪れて、まるで映画のシーンが変わるようだ。飽きることがない。つまり、それが日本酒の楽しみ方の真髄であり、しかし、食べてみなければわからない料理に合う酒を事前に選ぶのは、やはり相当な玄人技だろう。 千恵ちゃんは、見事にその的を射る。どうやら直感のようだ。その場にいて、至福を感じる。
猪口、前菜、小吸物、向附、焚合せときて、料理は〈早雲閣〉自慢のA5級飛騨牛ステーキに。ついににぎわいだ「卓上の物見遊山」も山頂にいたり、いずみ橋・恵の燗酒に。すでに三種の日本酒で絶妙な酔い心地になった全身全霊に、新たな高揚感が弾ける。絶景だ!
M : 燗酒、これだったら50度くらいいってもいいかもしれない。
M’: 町のお店で、お燗の温度をあげてくれなんていえる?
藤 専門店以外はありえないですね。
M : そこが、旅館のいいところだ。
M' : (50度の燗酒を飲み)いける、いける。もっとあげてもいいかも。でも、こんな風に実験するみたいに日本酒飲むのはじめてだな。日本酒じゃなきゃ、できないよね。
M : 料理屋って、こういう楽しみ方しかできないんですよ。
M’: でも、普通、料理屋だと面倒臭さがってやってくれないでしょ。
M : 仲のいいとこはやってくれるし、仲のいいとこは、やってるときに自分たちが勉強しちゃうのよ。やらせてもらうけど、ノウハウはもらいますよって。作るプロと食べるプロの、そこには気持ちのいい対決がある。料理も、おいしくなかったら残せばいいんですよ。よく、それはお店に失礼だっていうけど、こっちはお金をはらっている客なんだから、残したら、そのときにロジカルにコメントできればいいだけです。
M’: 確かに、それが礼儀というものかも知れない。
ここでいずみ橋・恵の60・2度の燗酒がくる。飲んで、
M’: ホット・ショットだね。温度でぜんぜん違う! ツヤがでてきた。
M : 60・2度、最高だね。
藤 あっ、おいしい。同じお酒がこんなにいろいろ味が変わる。これが日本酒のいいところです。一番おいしい。やっぱり、4年、寝かせてあるので、やわらかさとうまみが増してる。
星: これ、寝てるということは、当然、冷温で貯蔵してるってことですか?
藤 いや、冷温ではなくて。この蔵の特長って、絞りたての若い時期は固いんです。まだ若飲みに向いてなくて、人もそうなんですけど、若くていい人とちょっと中年になってからいい人といるじゃないですか。で、いま飲んでるとこの人は、若いときはすごく固くて、年とってすごくいい感じになるタイプなんで、冷蔵庫で寝かせていた。それで、今日飲むのは、私としては賭けだったんですけど、ちょうどよかった。これは4年、寝かせておいてよかった。待ってみたけど、大成しなかったということもあります。
M’: 面白い話だな。じゃあ、寝かせている間に、思いもしない方向にいっちゃったなんてこともある? ぐれちゃったみたいな。
藤 あるんです。むしろ、途中でぐれちゃった方が面白い。あとでよくなるってあるんです。
松 : それ、森永さんだよ。(爆笑)
藤 しぼりたてのときにすごい暴れてて、これ、途中どうなっちゃうのかなって心配してたら、こんなに話しのわかる夫になるなんて。
M’: 千恵ちゃんが、そういうことに気づきはじめたのって幾つくらいのとき?
藤 それは30代です。
M’: それまで、相当、飲んだ?
藤 飲みました。それで、気立てのよい人って、こじんまりと終わっちゃうなっていうこともわかった。だから、春のしぼりたてで、ちょっと渋いな、早いなっていうのは秋まで寝かせておけば、よくはなるんだけど、場合によっては、いまがちょうどよければ、その場で飲んじゃう方がいい。
M : その場の一発勝負だね。
藤 5月で仕上がっているんなら、このまま飲んじゃった方がいい。若飲みしちゃうんです。AKBの人はやっぱり50になったら歌わない。それは若いからいいというお酒です。でも、美空ひばりみたいなお酒もある。人にも苦労してよくなる人と苦労知らずでいい人と両方いるじゃないですか。
M’: 千恵ちゃんの仕事は、まずは飲むこと?
藤 それで原稿を書く。前に『日本の大吟醸100』を書いたときに、みんなが「100本も飲んだんですか?」といったけど、100本書くためには100本ですむわけないですよね。
M : さっきの23パーセントといっしょだよ。マッケンと今日くるとき話したけど、最近の日本の歌うたいって、100持ってたら、100だして終わっちゃう。
昼に近藤さんが語った「音楽の森」に通じる姿勢だ。近藤さんは18年間で鬱蒼とした森を作って、いまようやくその森から木を選んで、世の中に出そうとしている。
千恵ちゃんも、全国の酒蔵を巡る旅を通して見出した鬱蒼とした日本酒の森の中から100本を厳選し本に書いたっていうことかもしれない。ちなみに、日本に酒蔵は1300、日本酒は一万種あるといわれている。
千恵ちゃんは、その大吟醸本以外に、『美酒の設計』『杜氏という仕事』『極上の調味料を求めて』などの著書がある。その仕事のキャリアは長いのに、因習に染まらずいまも溌剌とした稚気さえ感じる。いまだにM評するところの「無邪気な好奇心」とまっすぐ対面している印象だ。そして、千恵ちゃんが日本酒を語るとき、ぼくらがロックを語るときと同じメンタリティーさえ感じる。
二次会は部屋で、川魚と蒲鉾を肴に小宴がつづく。
M’: お正月みたいだね。川魚に蒲鉾が揃うと。
M : 旅館が料理の手を抜いたときから、旅館の魅力がなくなった。
松 : ホントに、ほとんどできあいなんだよ。
M’: むかしは割烹旅館があったよね。
M : 子供のころ、割烹旅館に行くと、だし巻き卵もあってね。おやじたちが飲んでると、横に、子供のための錦糸ご飯があったりさ。穴子と卵焼きを刻んだ。
M’: この間、地元の酒場で、賄いのひじきご飯食べさせてくれたけど、ものすごくおいしかったな。
松 : ちゃんとした油揚げ使ったらおいしいよ。揚げで味付けして。
藤 結局、化学調味料の変な味が嫌なんですね。全部甘ったるくなって。
M’: 蒲鉾、うれしいね。
M : 旅館の追加注文のとき、ちょっと派手なものが多いでしょ。でも、箱根だったら、極上蒲鉾といって値段が高いと食べてみたくなる。それを蒲鉾だからって、600円だとダメなんです。東京の人は蒲鉾のこと知らないから、蒲鉾って安いと思ってる。でも、いい蒲鉾って鯛を使ってるから、3000円はするよ。
松 : 今日も、これ一本、3000円だよ。この上になると、冷凍してあって、一日おいて、解凍してから食べてください、とある。
M : パテとかと同じだよ。
M’: 日本で作ってる?
松 : 作ってる。いろいろいれてふくらましてるとこもあるけど。
藤 うちの夫、長崎なんです。長崎は蒲鉾の地位すごく高いんです。ほんとにおいしいものはおいしい。で、千葉で蒸し鮑食べたとき、夫が「上等な蒲鉾みたい」っていったら、「お前に鮑を食べさせたくなく」っていわれて、それは関東の人の感覚で、夫にしてみたら、最大の賛辞のつもりだった。長崎の蒲鉾はおいしいですよ。
M’: しかし、こうやって飲んでたら、いつまでも飲めるね。むかしの人は、こんな感じだったのかな。
M : そうだよ。月見たり、みんなでしりとり寄せ書きやったり。それで仲居さんのきれいなのをからかったりしてたんです。放蕩酒ですよ。酒って、会話がないと、飲んでもしょうがない。
藤 (姿、見て)森永さん、今日、由井正雪みたいですね。 (爆笑)
星: 森永さんが乱、おこすのもいいかもしれない。
藤 由井正雪の乱みたいですよ、この場の感じ。
星: 由井正雪の乱に集まった浪人たちも、社会を変えることより、何か面白そうだって集まってきたんですよ。
M : それはフランス革命も同じだよ。
藤 まだ、9時にもなってない。
M’: 旅館には時間を買いにくるんです。
M : それ、名言だね。
松 : ちゃんとテープ回してる?
星: 森永さん、テープ回してるんですね。いまどきそんな人、ぼくのまわりで森永さんいれて、ふたりだけですよ。
M’: クラシャンはじめて、ずっとテープだよ。もう25年。
藤 そうですね。ICレコーダーじゃなくて。
M’: ICレコーダーだと、なんか、怖いの。
松 : さっき、ちらっといってたけど、旅館が何も努力せず、仕入れた酒、300円で飲めるのを、ちょっとあっためて、1000円っていうのはルール違反だよ。300円のもの1000円で売るんだったら、何かしないとダメだよ。
藤 いまはそんなことないんですけど、ひとむかし前は、日本酒で一番いいのが飲めるところが、居酒屋だったんです。
M : それで、居酒屋研究会だった。
藤 そうです。一番いい日本酒は居酒屋にある。料理屋でもなく、旅館でもなく。
M’: 寿司屋でもなく。
藤 寿司屋はいいお酒おくのを嫌がったというか、料理人のプライドがあって、店には俺の料理を食べに来てもらうんであって、酒を飲みにじゃないっていうような。私も20代の前半で外で食べたり飲んだりするようになって、なんで、こんなに有名な和食屋さんとか旅館で、いい日本酒をおいてないのかなと不思議に思った。
M’: それは、すごい発見だね。みんな気がつかなかったんだ。
それからひとしきり、飲食業界、旅館業界のオフレコの裏話になって、30分ほどで、小宴を終えた。隣の部屋に戻り、そうか、旅館は家までの帰路がないからいいんだと気づく。何の社会性もない。
熱燗は60度までいったが、露天風呂はぬるいのが心地いい。
部屋の灯りを消して、暗闇に浸る。雨が降っている。
この感じ、覚えがある。
思い出す。
ミクロネシアのポナペとバリのチャンプアンのコテージで味わった静寂と闇。
この世の極上の時間だな。
それは人がつくりだすもののなかで、一番美しいものなのだろう。
いまは箱根山中だが、森羅万象の芯にいる気分だ。
ここにも23パーセントの真髄がある。
翌日、東京へ帰る車には、箱根の美術館に行くと別れた千恵ちゃんではなく、新宿に用事のある松ちゃんが乗っている。車内で、昨夜の宴を振り返る。
M’: ミックがこの間、クラシャンでいってたじゃない。梅原龍三郎は80代になっても、毎日日本酒一升飲んでたって。横山大観も、そうだったけど。昨日みたいな飲み方なら、ぜんぜんいけるね。コップ酒煽ってたら無理だね。
M : だから、前もマッケンに話したと思うけど、小津安が蓼科の別荘で脚本家と映画作る前に合宿してね。毎日朝から飲みながら雑談して、で、縁側に一升瓶並べてって、もう置く場所なくなると、そろそろ書きますかねってね書きはじめる。それまでにいろんなこと話してるから、もう全部できちゃってるわけじゃん。
M’: 日本酒は飲み方なんだな。
M : だから、単一のものをずっと飲んでるより、ワインなんかでも、4人で行ったら、変えてった方がおいしいんだよね。
M’: でも、昨日の核心は燗酒の温度をあげてったってとこかな。
M : あれは凄かったね。
松 : 温度で、ぜんぜん味が違うのがわかったね。ああやっていわれながら飲むとさ。
M : それで打順を決めるっていうときに、頭に寒梅の純米大吟醸で決めて、次に山本もってきたのがよかったんだよ。
松 : あの感じで飲みたい人はいるよね。間違いなく。
M’: 昨日、けっこう量、飲んだでしょ? ああいう飲み方は、外国人だと酔っ払っちゃうかもしれないね。ジョン・レノンとか飲んでたら酔っ払ってたかも。
M : でも、アルコール度、15、6パーセントだから、ワインより4パー高いぐらいのもんだよ。でもさ、前に外国人からいわれてそうだと思ったけど、日本人てワイン飲みながらなんで水飲まないんだって。フランス人もイタリア人も同じくらいの水、飲んでるんだよ。日本酒も江戸時代は、水で割ってたらしい。
M’: そうだよね。それで、江戸の酒は水臭いという言葉が生まれてんだよ。
M : そうなると、水飲みながら日本酒飲むのがやってみたらいいんですよ。昨日、千恵ちゃんもぼくも最初に水、頼んだでしょ。彼女もちゃんと水飲みながら飲んでるわけ。なんか、みんなさ、自分は酒が強いんだって自慢しながら飲む傾向があるんですよ。そう思われたいから、ぐいぐい飲んで、逆に破裂してる奴が多いような気がする。ワインなんかでも。でも、それはエレガントじゃないよな・・・
などと道中、3人で膝栗毛状態。鰻屋の看板が目に入れば、
M : あそこ、うまいんだって?
松 : 客、並んでるけど。どうかね?
M’: 天然の鰻、いなくなったからな。
松 : デパートで買ったって、養殖もので、3000円、するもんな。
M : あそこ、予約できんの?
松 : どうかな? いつも並んでんだよ。
M : 今度話しの種に、行ってみようよ・・・
与太話にふけるうちに都内に入り裏道を縫うように行くMの車は渋谷に着き、松ちゃんとぼくは「じゃ、また」と車をおりてMと別れ、Mは六本木に、松ちゃんは新宿に、ぼくは芝浦に、散っていった。たまんないね、松ちゃん、またね。
自宅に戻ると同時に、若い友人のK君からiPhoneに「森永さん、ちょっと、相談にのってほしいことがあるんですけど」と連絡がきて、話を聞くと、とんでもなくヤバイ仕事だったが、「面白そうだね」と30分ほど話をした。
「やろうか」
「そう、いってくれると思いました」
秋にはまた箱根に行きたいな。