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TACHIKAWA“MICK”NAOKI
&
MORINAGA“MACKENZIE”HIROSHI’S
CLUB SHANGRILA 14
2013/4/16収録
@はるみ(芝浦)
前回、クラシャンは北品川へとMを案内し、M言うところの「近所」で成立している店の素晴らしさを発見し、「あのへんがいま面白いね」(M)というので、今日は正に、自宅から歩いて5分程の芝浦高浜橋のたもとのホルモン屋<はるみ>をトークの場に選んだ。
この地区は再開発計画により、いますぐにでも消えてなくなりそうだ。<はるみ>の並びの<やまや>はすでにクローズしている。
約束の日、6時にMは現れた。テーブル3席のみ、10人も入れば満席の<はるみ>で席に着き、Mは「いや、ー、すごいわ」とまだ何も食べない前に、感嘆した。
メニューの品目は少ない。焼き物はホルモンにハラミ。他に豚足。キムチ、ナムル、チャンジャ。ビールで乾杯した。
森永(以下M’)ここはね、伊丹さんの『タンポポ』のロケ地になったところなんですね?(と女将さんに)
女将 そうです。『タンポポ』の。
M’ 『タンポポ』の音楽もミック?
立川(以下M) 『タンポポ』はやってない。ぼくは『マルサ』から。『タンポポ』のあと、伊丹さんに呼ばれて、(女将さんに)それからずっと死ぬまでつきあったんです。
女将 そうですかぁ。
M’ そういえば、今日、ちょっと調べることがあって昔の『エスクァイア』めくってたら、ミックが書いた「小原流六根日記」見つけて読んだのね。あれ、ロン・カーウェイって誤植だったけど、ウォン・カーウァイがミックのオフィスに来たっていうくだりがあって、来た?
M 来たね。それも、えーとね、『東邪西毒』っていう新作の音楽たのまれて、やることになったのね。
M’ 『悲情城市』のあと?
M そう。ウォン・カーウァイが『悲情城市』見てね。他にもピーター・チャンからも話があった。
M’ 相当、インパクト、あったんだね。
M あれは、それまでの中国映画の音楽と全然ちがってたしね。自慢話みたくなっちゃうけど、あの音楽によってグランプリ獲ったようなもんで、原田真人さんが、あれは「音楽なかったら訳のわかんない映画だ」って書いてた。中国語圏の映画としては画期的だったんだよ。それまで映画音楽っていったら伴奏のレベルだったのが、音楽が映画をひっぱるって、ウォン・カーウァイもわかった。
M’ 中国系の映画はあのころ美しかったね。
M こっちに『悲情城市』があって、こっちにはウォン・カーウァイがいて。
M’ 『欲望の翼』ですね。
M 『欲望の翼』は音楽、素晴らしかったね。ラテンの使い方が、正しい。しびれたね。オープニングの、台湾のヤシの林のシーン!
M’ そういえば、この間、この店にチャン・チェンつれてきてね、『ライフ・オブ・パイ』の話になって、あれセットは全部台湾だって。
M 『ライフ・オブ・パイ』は大ヒットだって。
M’ ホント!?あの内容で?それはすごい!
M 今日映画会社の人に聞いたら、興収いって10億とみてたら、20億いったって。
M’ 大衆はホントは映画見る目、あるね。それで、ウォン・カーウァイのは、どうなったの?
M やることになって元一風堂の見岳章さん、あの美空ひばりの『川の流れのように』つくった、彼と組んでデモ・テープつくったのね。ところがさ、ウォン・カーウァイは撮影ものすごく遅れるだろ。
M’ そうですね。新作の『グランド・マスター』にチャン・チェン出演してて、5年ががりだって。でも、全世界的ヒットとなったけど。
M 遅れ方がものすごくて。それで、ぼくは別の伊丹映画とか、そのころ映画の仕事多くてね、忙しくなっちゃって、ぼくのマネジャーやっててくれた台湾のプロデューサーも、「立川さん、これラチあかないからやめよう」ってやんなかったの。
M’ その前は話に聞いた、曽根中生との日活映画、ロマンポルノとか。
M やってたね、けっこう。
M’ テレビマン・ユニオンの仕事もね、TVの。それやってたあと、『悲情城市』までの間って、何かやった?
M 松田優作の『あばよダチ公』とか、やったよ。でも、その前は曽根組、曽根中生さんね。自分でもベースやキーボード、弾いてたよ。
M’ 曽根さんとやってたのは、結局いまわかるけど、B級に、でも音楽はめちゃくちゃカッコよくって、タランティーノ・ムーヴィーの先駆けだね。
M たとえば、『花の応援団』のときなんかは、青田が攻めていくシーンね。そこで、「絶対、ここはマカロニ・ウエスタンだ」ってひらめいて、実際にぼくの趣味で、タタタンタンターンって、リズムと映像シンクロさせてね。
M’ 『キルビル2』にコスモス・ファクトリーの曲使われてたらしいね。
M 全然、知らない。
M’ タランティーノの新作の『ジャンゴ』は黒人が主役だけど、センスはマカロニですね。
M どうだった?
M’ B級のつくりなんだけど、もうB級感はだせなくなってた。
M B級感はわざとはだせないからね。
M’ 金とか権威とか、タランティーノは手にいれすぎたかな。B級感って、そっちじゃないものね。
M ロジャー・コーマンの方がやっぱり、上にいかない分、すごいよね。
M’(カベに飾ってある長煙管を指さし)あのキセル、すごくないですか。阿片っぽい。どうですか、味?
M 旨い!
M’ 旨いし、ものすごくきれいでしょ。台所の食器の並べ方、ものすごく美しい。
M うん、きれい。おかあさんがきれいだもん。
M’ (6人程のお客見て)お客さんも何かみんな大部屋の役者みたいでしょ。
M 三國さんも死んじゃったしね。
M’ 最近読んだ小説でめちゃくちゃ面白いのあった。
M 何っていうの?
M’ 『ならずものがやってくる』っていう、アメリカの女の人が書いたロック・ノベルス。それ、ピュリッツア賞と全米批評家協会賞、とかとっててね。元パンクロッカーで、その後レコード会社つくった男の物語でね、その男をとりまく変な奴らの話がオムニバスで展開されてくのね。
M(ホルモンを食べ)すごいね、コレ!すごい!
M’ 仕入れの勝負。
(席の上のTVは、ボストン・テロを放送し、ニュースは他に日光中禅寺湖で紅鱒釣りが解禁されたが、魚から国の基準以上の放射能物質が検出されたため、食べるのは禁止となった、と報じてる)
M’ 女将さんは、このホルモンは日本一だと自慢してる。
M やばいよ、これ!
M’ で、そのならずものっていうのはアウトローのことじゃなくて、時間のことなのね。時間がたつと、人も町もボロボロに変わってくでしょ。残酷で非情でしょ。
M うん。
M’ それが主題なのね。そこに、ものすごい数のロックが散りばめられてるの。イギー・ポップとかナイン・インチ・ネイルズとか…歌詞まで。
(トークのときには語れなかったが、その本にででくるロックは、デッド・ケネディーズ、フー、ストゥージズ、ビル・グラハム、ブロンディ、ビートルズ、パール・ジャム、モンタレー、等々)
ロック以外にもピカソ、デヴィッド・ホックニー、MOMA、レヴィ・ストロースとかもでできてね。
M なるほど。
M’ むこう、やっぱ、進んでるね。
M だから、ロックもアートもちゃんと市民権持ってるし、ロックは文学と同じに、ちゃんと価値観あるよ。
M’ それでピュリッツァですよ。そういうの読むと、日本はひどく退化してる気がするな。
M幼稚になってる。テレビってそんなに見ないけど、でてくる映像は退化してるね。しかし、ここすごいな!衝撃、衝撃だね!
M’ すごすぎますよ!しかも近所!
M マッケン、歩いてこれんだろ。
M’ そう、近所。3日に一回来てる。
M マッケンが言ってたの、よくわかる。正しいね。
M’ シャングリラって、こういうことなのかな。この間、90年代の映画だけど、『アンダーグラウンド』っていう作品見て。
M エミール・クストリッツァだろ!
M’ いやー、すっごい!!まさに衝撃!オープニングの、あのパンクなマーチから衝撃!ものすごい映画だね。だって、フランス、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリアの共同制作で。
M エミール・クストリッツァってあの映画のあと自分のバンドつくっちゃったんだよ、見たもん、ライヴ。
M’ ホント!?
M 『アンダーグラウンド』のあれで、ワールドツアーやったの、すごいよ。
M’ あの映画ってもうすべてにおいてすごくないですか?
M リアルタイムでは見てなかったんだ?
M’ 見てない。つい最近、DVDで見て、衝撃うけた。
M (女将さんに)めちゃくちゃおいしい!
女将 あー、よかった。
M しびれる。
M’ あれはジブシーなのかな。
M もちろん。ロマののりですよ。でもさ、いまマッケンが『アンダーグラウンド』の話したけど、正しいクリエーターって、基本的にぼくらもそうだけど、ロマみたいなもんじゃないの。
M’ ジプシー?
M 絶対ロマなんだよ。
M’ あれも、そうかな『クラウド・アトラス』も。最近、オムニバス形式多いね。でも、よくわかんなかったな、『クラウド・アトラス』は。何なのかな?
M あれは500年ぐらいの人の歴史をね、テーマにね、『マトリックス』のラナ&アンディ・ウォシャウスキーと『ラン・ローラ・ラン』のドイツ人のトム・ティクバの3人の共同監督なのね。ちょっと凝りすぎてはいるけど、ああいうものをぼくらの娯楽映画だと思えばいいんだよ。
M’ オムニバスって、ぼくたちにしてみれば『サージェント・ペパー』みたいなもんだね。けっこう好きね。
M 『マジカル・ミステリー・ツアー』みたいなもんですよ。『クラウド・アトラス』なんて。映画術としてみればね。深読みなんていらないんだよ。すいませーん、ホルモンもうひとつください。生センマイは焼くんですか?
女将 生センマイは生で食べて下さい。
M’ あとね、最近、『最後のマイ・ウェイ』試写で見た。『マイ・ウェイ』を作曲したクロード・フランソワは39才で亡くなってるのね。ボリス・ヴィアンと同じ。
M 力道山もいっしょ。39歳ってすごく多い。
M’ ミックは、クロード・フランソワのこと知ってた?
M 知ってたよ、もちろん。日本じゃ人気なかったけど、67年ごろにはフランスで大スターだった。ほら、ぼく子供のころからフランスかぶれだったろ。けっこう輸入盤買って聴いてた。
M’ ビートルズの前?
M あとだね。65、66年ぐらい。あと、あの映画にちょっとでできたけど、ジョニー・アリディ。すごかったんだよ、フランスでは。
M’ 映画でもめちゃくちゃカッコいい。ロカビリーね。
M ホント、「フランスのプレスリー」って言われてでてきてね、ジャン・ルネ=ユグナンがエッセイでオランピア劇場の公演見て、「今日、歴史上の新しい若者を見た」ってようなこと書いてて、それがすごくカッコいい!
M’ 60年代語るとき、どうしてもイギリス、アメリカになっちゃうけど、フランスの60年代も外せないね。ジョニー・アリディのツイスト、アレだね。
M あれはチェビー・チェッカーのカバーだからね。『レッツ・ツイスト・アゲイン』ね。あとハンク・バラードの『ツイスト№1』ね。
M’ 日本だと藤木孝ね。
M あと藤木孝だと、『24000回のキス』ね。それはイタリアのアドリアーノ・チェレンターノっていう、ゼロ世代と呼ばれていた若者が歌ってたんだよ。『24000回のキス』とか『消えた太陽』が大ヒットして、でも日本じゃほとんど知られてない。
M’ ぼくはクロード・フランソワのことまったく知らなくて、『マイ・ウェイ』はシナトラの曲だと思ってて。知らないから、映画に没入できた。
M 顔は本人とソックリだったよ。で、ぼくは『最後のマイ・ウェイ』の前日に『リンカーン』見て、自分は『リンカーン』みたいな政治の硬いやつより、クロード・フランソワの与太者の方が好きだなって自覚した。
M’ ホントに与太者だもんね。
M 女にはだらしないし、全部だらしないんだけど、動物的にいろんなとこでは的射てくんだよ。だって、フランスでディスコの曲にダンス・パフォーマンス最初にいれたのクロードが初めて。誰よりも早くやった。
M’ ニューヨークでオーティス・レディングのショー見てね。
M ひらめいた。正しいパクリです。
M’ だって、そこにユーモア入るからね。ちょっと、『オースティン・バワーズ』ののりあったね。
M あった。あった。
M’ B級感たっぷり。あれは絶対イギリスにはない。
M フランスは粋なんですよ。最後まで真剣にやらない。
M’ そこね。タランティーノ、ちょっと真剣入っちゃったのね。イタリアの60年代って、どうだったの?
M イタリアにはアドリアーノ・チェレンターノっていうスターがいて。あとルイジ・テンコって、素晴らしいシンガー・ソングライターがいたんです。その人はホントにセンシティブな人で、才能もあってね。でもサン・レモ音楽祭で入賞しなかったことがショックで、サン・レモの会場が見えるホテルで飛び降り自殺しちゃったの。
M’ レスリー・チャンみたいだね。
M それで死後、ニコラ・ディ・バリっていうシンガーがルイジ・テンコの曲を歌ったアルバムをだして、ルイジはすごい人気になるのね。もうイタリアで爆発的。ぼくは10代のころからそういうのが好きで聴いてたから、まわりからは宇宙人に思われてた。
M’ だって、どうやって知ったの?
M 『ミュージック・ライフ』に、ちっちゃい記事だけど、ヨーロッパの情報でてたのね。それで、フランス・ギャルとかシルヴィー・バルタンのまわりに、クロードがいたって知ってね。輸入盤買ってたのね。
M’ フランス・ギャルの『夢見るシャンソン人形』の作詞・作曲はゲンズブールだもんね。アイドルのまわりにいたんだね、すごい連中が。
M 『夢見るシャンソン人形』のB面は『ジャズ・ア・ゴーゴー』っていうめちゃくちゃカッコいい曲で。ハモンド・オルガン入ってて。それも多分ゲンズブールかな。
M’ フランスの基本にはラテン気質ある?
M カッコいいことが好きなんだよ。それがカッコいいと思うと、マネでも何でもやっちゃうんだよ。
M’ アメリカのギャング映画マネて、フィルム・ノワールつくったりね。
M そう。イギリス人はプライドあるからやらない。フランス人とかイタリア人は軽くやっちゃう。多分、イギリスでツイストってはやってないと思うよ。
M’ ディスコテックも、フランスだもんね。
M それでぼくらが会ったころ、(岡田)大ちゃんがレオ・キャステルから<キャステル>日本でやらないかって言われて、そこで入ってくるわけじゃない。
M’ 最近、世界的に事象をヒモ解くって多くないですか?『最後のマイウェイ』も『シュガーマン』も。それがめちゃくちゃ面白い。フィクションより、全然。
M だからね、日本だとAKB、向こうだとビヨンセ、レディーガガとかでできて、世界中が阿波踊り状態になっちゃってね。それはそれでいいと思うけど、そうじゃない、ルーツって何だったっけっていう、そっちの流れがでてきて、人間っぽいものに微妙に反応してってるんだよ。
M’ 昨日あたり、ふと思ったんだけど、日本の歴史考えると、例えば奈良時代だと奈良中心の歴史でしょ。平安時代だと京都中心でしょ。そういう歴史を学んできてね。でも実際は、全国にいろんな歴史はあったわけですよ。地方の文化が。
M そうだよ。
M’ そうやって考えると、歴史なんてあってないようなもんだなとわかって。
M だから、そこに湾があれば、かならず町があって、暮らしも文化もあったわけで、別に奈良、京都だけに人が住んでたわけじゃない。そのとき房総半島にも人は住んでた。伊豆にもね。
M’ 東北にもね。で、そこに歴史もあるわけでね。
M 学校教育なんて、そんなもんですよ。
M’ ミックは、伊丹さんと仕事してて、職域超えた触れ合い、あった?
M あった。伊丹さんの名言だと思うけど、通訳って話ね。
M’ どういうこと?
M 「映画界の人たちは音楽業界の用語を知らない。だから自分が音楽どうしたらいいか、伝えることができない。逆に音楽業界の方は映画界のことを用語を含めて知らない」と。
M’ なるほど。
M だけど、ぼくはロマンポルノを10本以上もやってて、撮影所に通ってたわけね。それで、スラングも含めて映画の用語は知ったのね。この前、死んじゃったけど、橋本文雄さんていう、裕次郎さんのときからやってた録音技師と組んでやってたから、その人からいろんなこと、「立川ちゃん、こういうことやー」って仕込まれたというか、20代のころにね。
M’ 現場でね。
M それで、伊丹さんが雑誌のインタビューで、「ぼくには立川君っていう名通訳がいて、とても助かってる」って言ってて、だから通訳。ぼくは、映画と音楽、アートと音楽をむすびつけるとき必要とされた通訳ですよ。むかしはいなかったのね。いまはだいぶでてきたけど。
M’ 通訳かぁ、深いな。
M それは政治の世界でもいたと思う。
その日、対談中に、ヤッコさんこと高橋靖子さんからTEL入り、「いま<新世界>にいるの。ここにロバート・ハリスさんもいて、いまかわります」と、ロバート・ハリスの声にかわった。
何を話したか、ただ笑い合っただけだった。「8時から、S-KENさんも入って60年代の話するから来て」とヤッコさんの誘いに了解し、話しを終えた。
ものすごいディープな時間を<はるみ>ですごし、芝浦から西麻布に向かい、元<自由劇場>現<新世界>への階段を下りると、トークの最中だった。
第一部終了。ロバート・ハリスとハグし、ヤッコさんにアイサツし、場違いな印象もうけたので、表に出て、西麻布交差点への坂を下り、裏路地へ入ると、目の前をブルーに発光した人たちが数人歩いてる。
「ブルーマンだ。マッケン、写真撮れよ!」
「OK!」
と駆け出し、ブルーマンたちを撮った。<テーゼ>に入り、カウンターに腰かけ、生フルーツからイチヂクとザクロを選び極上カクテルをつくってもらう。
やはりカクテルは美しい。美の結晶だ。色彩もある。
贅沢すぎる一杯を味わい、近所の<PB>へ流れつく。
「フクちゃん、今度、芝浦の<はるみ>、いっしょに行こう」
とMはフクちゃんを誘ってる。
「<シネパトス>もなくなって、このあいだ<有昌>もなくなった」(M’)
「<有昌>って?」(M)
「並木橋の。ムッシュが歌にうたってた」(M’)
「そう」(M)
「残念なことも多いね」(M’)
<シネパトス>で見た『約束』他名画の数々、<有昌>のシイタケソバ、他、絶品の数々。
ありがとう。町映画館と町中華屋。
忘れないね。
どれだけ愉しませてくれたか。
先に帰るMと、珍しく握手した。