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池波正太郎大先生がこよなく愛した丹下左膳は財宝のありかを秘めた【こけ猿の壺】を追い求めたが、我らは砂鉄の謎を解くかも知れぬ砂鉄焼きの花瓶を放射能地区の民家で手に入れ、翌日には、深く切り込む谷が続く山道を越えて、猪苗代へと向かった。

来る時は国道だったが、帰路は県道を選んだ。

というのも、書記長からある重要な情報がもたらされたからだ。

それで帰路、ある場所に寄って行くことになった。


三種の神器をめぐり、光明天皇側の北朝と後醍醐天皇側の南朝が血なまぐさい戦闘を京都でくりひろげた時代、争いに敗れた南朝は京都から逃れ、奈良に吉野朝廷をひらいた。

しかし主権となった北朝が手にいれた神器はみっつともニセモノであったため、北朝は神器を奪還すべく新田義貞たち武士を使い、長い戦いがくりひろげられるなか、南朝側は皇子たちを全国各地へと逃した。

そこで、復興をはかろうとした。

その南朝の隠し砦のひとつが、福島の山中にあったと、書記長が情報をつかんだ。

そこに、いま、向かっている。


何やら山中は自民党が復権してから、ここ福島でもにわかに随所で山を切り崩し、高速道路の建設が盛んになっているらしい。

その建設地には必ず「東北復興事業」という垂れ幕がかかり、相当なカネが動いていると察しがつく。

なるほど、こういう仕組みだったんだな。

「何が? 」

「うん、だから、あれが」

「あれ、ね」と自問自答していると、

「おかしな話です。こんな高速、山の中につくってどうするんでしょう。高速が開通したら、みんなそっちを走りますよ。いままで、県道をみんな利用してたので、そこで商いがなりたったり、暮らしにもいろいろ都合がよかったのに、高速開通したら、村人たちは困りますよ。何の、復興なんでしょう」

と、小松夫人が苦言を呈す。

人の目に触れないところに隠された現実を目撃する。


車中で、書記長から隠し砦の秘話を聞く。


ーーそこ、霊山城というんです。霊山は平安時代初期に円仁が開祖の天台宗の山です。南朝側についた武士は北畠一族です。旧名陸奥、現東北地方に逃れてきたのは北畠顕信です。北畠は流れ着いた福島の霊山に城を築き、後村上天皇を奉じました。それにより霊山城は、東北地方の一大拠点となったそうです。最盛期には3600人の山伏がいたそうです。東の比叡山みたいなもんです。

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-----話を聞き、伊達市と相馬市の境、標高は825m、深い山の中たどり着いた霊山は、予想を裏切り山麓は安作りの商業的施設が建ち、何の霊性も神聖さもない。

しかし、険しくそびえる山の形状は、深山幽谷感に満ちている。即座に中国湖南省の仙境である天子山を想いだしていた。


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初めて天子山に登ったとき、現地の人から、天子山に住む村人たちは、戦乱の世に、争いに敗れ、ここに逃げてきた高貴な方たちで、しかし山賊と蔑称されてましたと聞いた。

その仙境を気に入り、何度も足を運ぶうちに、ディテールが見えてきた。

山麓や山中の集落に住む村人は農民だった。

天高くそびえる地にも水田を作り、米を収穫したあとは、菜の花を植え付け、春に一面黄色に染まった。

 のちに『アバダー』を見たときに、一番に、天子山のことを想いうかべた。

山中を馬で移動しては部落を訪問し、時には、農家に泊めてもらうような放浪をしていた。

その農家で見た世界に息を飲んだ。

というのも、いまや世界的なコレクター・アイテムともなった「家庭芸術」と呼ばれる芸術的装飾を施した家具・調度品が村人たちの文化的遺産で、それをボロボロの農家のなかで、いまでも使っていた。


南北朝時代、果たして、霊山には、都からの長い旅路に、文物財物を運んだのだろうか。

もしや、本物の神器のひとつでも、この地まで運ばれてきていたら、当然北朝軍は奪いに軍勢を派遣しただろう。


「そうなんです」と書記長が語る。

「北朝軍が攻めてきて、壮絶な戦いがあったそうです。それで、落城してしまった。城も破壊され、いまは何も残ってないです」

しかし、  我、想う。

果たして、北朝は神器を奪ったのだろうか、それとも、神器は何処かに消えてしまったか?

消えただろうな。

戊辰戦争は幕府にかわる天皇制の復興のために必要な神器をめぐる戦いだったなんていう妄想がはたらく。

所詮、歴史なんて、妄想の産物だ。


そういえば、余談だが、我が愛する日本映画、鈴木清順監督、高橋英樹主演『けんかえれじい』の主たる舞台は会津である。この映画は新藤兼人のオリジナル脚本。

以下、あらすじ。

ーー旧制第二岡山中学校の生徒・南部麒六(高橋英樹)は喧嘩好きだが、ロマンチストである。

旧制では先輩・後輩の上下関係は軍隊と同じに絶対服従であるが、麒六は憧れのマドンナ(浅野順子)にちょっかいをだした先輩を叩きのめしてしまう。

町には同校OBで喧嘩の達人、スッポン(川津祐介)がいて、不良を支配している。

スッポンは麒六の向かうところ恐れ知らずの度胸と腕っ節を買い喧嘩の必殺的スキルを伝授した。

それにより、麒六はさらに喧嘩上手になり、学校全体の不良を束ねていた不良団の副団長に就任する。

しかし、元来が不良の麒六は学校に軍事教練にやってきた教官とガチにぶつかり、麒六は地元にいられなくなり、岡山を飛び出し、親戚のいる会津若松に逃げ、喜多方中学に転入する。

ここでも、すぐに頭角を現し、会津の不良団白虎隊と壮絶なバトルをくりひろげる。

そんな荒んだ日々に欲求不満は募る一方だ。

ある日、会津のカフェに行くと、そこには、東京から流れてきた様子の男がいて、麒六は、その男が何者かも知らず、放つオーラに気を惹かれる!

その日、号外が発行され、それを見て、麒六は東京で青年将校たちによる226事件が勃発したことを、そして、カフェの男がその首謀者のアナーキスト北一輝であることを知る!!

いまや歴史は風雲急を告ぐ!!!

会津から東京へと蒸気機関が爆走する!!!!

麒六は、それに乗り、東京へと向かう。

もう、田舎での喧嘩三昧の不良少年は卒業だ!


ってなピカレスク・ロマンなのだが、福島には何の縁もない新藤兼人はなぜ会津を舞台に選んだのか。

ぼくは清順映画を通し血気盛んな青春期に会津には触れていたのだった!


我々はひたすら砲丸大会実現の日に向かい闇雲に走っている。

その途上に、次々と知られざる真実の世界を発見していく。

それは情報を超え、インパクトをともなう出来事といえる。

出来事は情報ごときで人に伝わるほど安易ではない。


テレビは見ない、新聞・雑誌も読まない。

最近は、もう映画も見ない。本も読まない。

音楽だけは以前にも増して聴いている。


それで、五感が鋭くなっていく気がする。


猪苗代湖に戻ると、吹雪だった。


自分はもはや人のつくるもののなかに想像を絶する世界をみることがなくなった。

過去、振り返っても、想像を絶する世界は自然のなかにあった。


猪苗代湖には、何かある! はじめにそんな直感があった。

その手がかりは砂鉄である!

いったい、この物質の正体は何なのか?

知っているようで、じつは何も知らなfい。


猪苗代湖では、一箇所、確認したいところがあった。

数日前、我々は猪苗代湖湖畔で撮影をしていた。

去年の夏より、猪苗代湖を中心とした自然界の撮影をしている。

写真家は、ぼくが二十歳のころから公私ともにいろいろ世話になり、1990年代半ばには小笠原を舞台にしたアート・アンビエント・フィルム『エデン』の撮影監督をつとめてくれた関口照生、テルさんだ。

月に一度、福島に行き、四季を彩る自然を撮影していた。

自然以外にも、田園、農家、農夫、村落の生活などを記録していた。


今年、2月、猪苗代湖湖畔で幻想的な雪景色を撮影していた。


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陸地は雪に覆われていたが、一箇所だけ、土が露わになっていた。

テルさんは遠くでシャッターをきっていた。

書記長とぼくは、その一箇所に同時に目を奪われていた。


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「不思議ですね、此処」というと、書記長も、

「どういうことでしょう?」

と首を傾げる。

「もしや、砂鉄? 」

と直感を口にすると、

「かもしれませんね」

と書記長もうなづく。


そんな出来事があり、我々は二度目の南相馬行ののちに、磁石を持参し、その湖畔を再訪した。

車を降り、湖畔に向かう道は深い雪に埋れ、歩行は雪に阻まれる。

やっと、その一箇所に辿り着き、書記長が磁石を向けると、土だと思っていた物質が勢いよく宙をはしり磁石にくっついた!


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「砂鉄です!」

書記長が叫ぶ。

「すごい量ですね!」

「砂鉄が雪を溶かしてたんですね!」

「大発見ですね!」

「これは、世紀の発見かもしれません!」


その日の夜、小松宅で砂鉄浜の謎について論議した。

「砂鉄ということは、もしかしたら地熱があるからですかね?」とぼくが意見を述べると、

「どうですかね。ここら辺は温泉もでますから、地熱が砂鉄を伝って地表まできてる可能性がなくはない。しかし、だとしたら、連日の吹雪でかなりの積雪ですから、地熱だとしたら、相当熱くないと雪は解けない。夜ともなれば、雪は凍ります」と書記長は地熱説に疑問を唱える。

「だとしたら、やはり、砂鉄に雪を溶かすなんらかの成分が含まれている」

「でしょうね」

砂鉄は何処からくるかのひとつの答えを南相馬で教えられた。仮設住宅に暮らす書記長の姉さんが証言してくれた。

砂鉄は嵐の日に波が海底から浜へと運んでくる。

この地球上における産地は海底である。

書記長とぼくは、隕石が宇宙の何処から、SF的に察するなら「砂の惑星」から、地球に運んできたと読む。

姉さんは海岸で砂鉄採集業に従事していたので、海底から、と証言したが、猪苗代湖は海ではない。

しかし海のような湖である。


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その昔、小松さんたちは南相馬から団体で猪苗代湖に行楽にきた。

その一員に小松さんの姉さんもいた。

山を越え、猪苗代湖につくと、そのあまりの広大さに姉さんは、

「うわー、海だ!」と驚愕したが、

「姉さん、バカ言ってんじゃねえ、後ろ見てみろ、磐梯山だよ!」

と書記長に突っ込まれ、振り向き、姉さんは、

「うわー、おったまげた」と叫んだのだった。

というくらい、海に見える。


 

 しかし、じっさい、太古の時代は猪苗代湖は海の底だった。


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周辺の山中にはいくらでも 古代海洋生物の化石が発掘され、ここが海であったことが証明されている。

つまり、湖底はかつて海底であり、そうなると、姉さんのいう「海底から」は当てはまるし、猪苗代湖の波は時に大波になる。

その波が湖底から砂鉄を運んでくる。

ここで、初めて猪苗代湖にきたときに、後藤さんから猪苗代湖には巨大隕石が落下した、と聞いた話も腑に落ちる。

つまり、その問題の一箇所は何億年もの自然の営為が奇跡的に生み出した浜かもしれない。


我々は論議しながら異様な興奮に包まれていった。

世界広しといえど、砂鉄をそんな風に考察している人なんていない!

砂鉄には雪を溶かすなんらかの成分が含まれている!

想像力の鐘がガンガン音をたててなりはじめた。


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