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発心して遠渉せんには、足にあらざれば能わず。(空海)
という。だから・・・20141109
青空から降る陽光を浴びた車は浪江に向かって快走している。
道は6号線だ。
あの日、世界を震撼させた津波は、この国道を突破することはなかった。
頭の中では、ボブ・ディラン『テンペスト』が鳴り響いている。
311、911以降、誰もディランのようには歌えない。
今日もロード・ムービーは続く。
車を運転しているのは、かつて1000人の組合員のリーダーでもあった小松書記長。
助手席には、流れもん。
後部席には、半月後には娘さんが永住するサンディエゴへ、農閑期のバケーションを過ごすために発つ小松夫人。
夫婦で行く予定の、その旅に「行きたくねえなぁー」と書記長はボヤく。
「でも、書記長、サンディエゴでも、何か、砲丸に関する新発見があるかもしれません」と助手席で呟くと、
「そうだな。インディアンの遺跡に砲丸があった、とか」
ケラケラケラと、後部席で夫人の笑い声がもれる。
震災後、流浪民となった福島県民たちは避難先の他県で、原発事故風害により、非道な差別を受けることもあったが、小松夫妻はアメリカに渡ったとき、福島から来たと知ると、アメリカ人たちはホテルでもレストランでも、その労をいたわってくれ、励まされ、
「本当に、部屋はグレード・アップしてくれたり、オーダー以上の料理を出してくれたり、感謝の気持ちでいっぱいになりました」
と、夫人は回想する。
夫人は娘夫婦や孫たちが待つ暖かいサンディエゴに行くことを楽しみにしている。
毎年、二回、春と冬、夫妻はサンディエゴに旅にでる。
書記長は砲丸製造に、311で偶然救われた命のすべてを懸けるかのような情熱を抱き、そのマルクス兄弟的な行動に夫人はつきあって、古代製鉄所の調査に今回津波&原発事故被災地まで来ている。
しかし、夫人が書記長の砲丸製造計画を、どう思っているかは、まだ真意をたずねてはいなかった。
夫人が思い出したかのように「漬物を買いたい」というので、ロードサイドの立派な店構えの漬物屋に寄った。
隣接するアイスクリーム・カフェでひとりアイスクリームを食べていると、書記長が「もりながさん、とんでもない漬物屋です!」と駆け込んできた。
「なんですか!?」
「とにかく、見てください!」
「行きましょう!」
夫人が物色している売り場を抜け、書記長は奥へと向かう。
さては、漬物の重しに使った砲丸でも見つけたか?
「ここです!」
と書記長が指差した先には兜と鎧の博物館があった。
なんで、漬物屋の奥に鎧博物館が!
漬物と鎧。
早くも、謎。
が、すぐに漬物屋の主人が趣味で収集した膨大な数の鎧の一部を展示する博物館を店舗に隣接した、と知る。
世を騒がした「海賊と呼ばれた」出光興産の創業者が開設した美術館とか、厳かを装う企業系にはまったく興味がないが、こういう真の個人商店の旦那の趣味が高じて開設した私設博物館などは、もう、たまりません!
撮影禁止などの禁止事項もない!
「漬物屋の裏に、コッソリあるのが微笑ましい。裏地に凝るみたいな、これが粋というもんだ!」
と胸のうちで快哉をさけんでいた。
しかも、展示されている兜&鎧の素晴らしいこと!
「これも、鉄の文化ですね!」
「ええ。南相馬にかつて製鉄所があったという歴史につながりますね」
と書記長は興奮している。
鎧の美は、到底、言葉で伝えられるもんではない。
以下、兜と鎧を、写真で見ていただきたい。
馬の鉄仮面
つまり、歴史とは時の権力者がどうのこうのといったいかようにも改竄できる虚仮なんかではなく、ここに見る兜や鎧が何百年の時を超えて訴えてくる力強い美、技にこそ、歴史の息吹を感じるのである。
こんな正確・精密な道具をコンピュータもない時代に工作した人たちは、いったい、何者なのか?
武具なのに、そこには遊び心が満ちている。
ため息をつくほどの繊細な美意識を見る。
祈りさえも感じる。
死生観さえも。
武士道とは?
現代人が高級ブランドなどを信仰する精神をあざ笑うかのように、圧倒的用美が輝いている。
しかも、それは芸術作品に勝るものなのに作者は不明だ。
兜を前に、数日前に訪ねた福島県喜多方新宮熊野神社で見た異様な光景を思い出す。
中世期に建てられた熊野神社にはいまも残る長床と呼ばれる舞台のような社殿が有名だが、背後の山中に隠れるように立つ社殿の屋根は、銀河帝国の暗黒戦士、まさに『スターウォーズ』で見たダースベイダーの兜まんまだった!
日本の戦国時代や仏教を参考に『スターウォーズ』が着想されたことは、衆知の事実だが、実際に兜、鎧、社殿に宇宙的イメージを確認すると、これらの造形美は、いったい、どこからやってきたのか、歴史学者のいう古代中国からか?
宇宙観は中国で発展を遂げただろうが、製鉄にはじまる鉄製文明・文化のレベルは圧倒的に日本のが洗練され優れている。
それは中国製の刀剣と日本製の刀剣を比べれば、火を見るよりも明らかだ。
さらに、いま目にしている鎧の完成度たるやーー神は細部に宿るーーその実相を見せてくれている。
しかし、なんで相馬の旅の途上に突然鎧が出現したのか?
昨日は放射能に汚染されているかもしれない雨を受け、津波が襲来した海岸で砂鉄を発見し、何かしら砂鉄からメッセージを受信した。
ステンレスでさえ長い時を経れば錆びる運命にあるのに、砂鉄は永遠に錆びることはない。
石器、骨器、土器、青銅器ときて鉄の文明が新たな歴史をつくった。
それを悪と見なすアニメもあった。
製鉄が要す溶鉱炉の燃料として森林が消えていった。
朝鮮半島や中国では森林が伐採され燃料になり大地も山も荒れ野と化した。
それでも、いま目にしている鎧兜は美しいが、所詮、それは男性の嗜好。
小松夫人は、今日の暮らしに必要な漬物の物色に真剣になり、博物館にはやってこない。
女性は針や鋏の裁縫道具で、充分なんだ。
男たちは、戦艦大和を望み、撃沈される・・・
思索は妄想じみてくる。
夫人は両手いっぱいに漬物を購入し、ご満悦だ。
さては、サンディエゴの娘一家への土産か?
車は浪江に到着した。
検問所を通り抜け、役場に直行する。
今日、相馬最大と思われる放射能汚染地区の山道を越えて猪苗代に帰還する。
帰還には近道なのだ。
そこは検問が厳しく、元浪江住民に限っては通行は許可されているが、部外者は役場に申請しなければならない。
そのため役場を訪ねたのだった。
玄関を抜けると、広報のための壁面に「あー!」と書記長が声をあげ駆けよった。
あとにつづき、そこに目にしたものは【津波被災前の請戸地区】と表示された航空写真であった!
「ここに、うちが、あったんです!」
書記長が小指で指差した。
「これが、請戸ですか?」訊く。
「そうです」
「これが、すべて、消えた?」さらに、訊く。
「はい。町も、そこにいた人も!」
海や河では漁業を営み、町の背後の大地では農業を営んでいたことが、俯瞰の視点から、よくわかる。
写真に映る町はすべて消えた。
昨日は、その荒野に立ち尽くしていた。
町を撮った写真のすべても流された。小松家の写真も、海に消えた。
いま目にしている写真は、たった一枚残された町の写真なのかも知れない。
その空撮するカメラは、まるで神の眼差しにさえ感じた。
「こんな写真、撮ってたんですね」と夫人も顔を写真に寄せ、述懐する。
「そうです、ここにうちがあったんです」
そこに、海と河と畑と隣人の幸に恵まれた暮らしがあったのだ。
それは、いまとなっては失楽園か。
許可をとり、車は無人の商店区を走り抜け住宅地へと向かった。
常磐線の開きっぱなしの踏み切りを渡る車から見た線路は草に呑み込まれていた。
住宅地は、新興住宅地だったのか、一戸建ての大きな家がつづく。
建築途中のままの家もある。
ここは津波の被災は受けず、なのに無人なのは放射能汚染地区だからだ。
「4 年も経ってしまったら、もう、帰宅は無理でしょうね」
書記長が無念な口調でいう。
しかし、帰宅すればいいという話しでもあるまい。
そこには、隣人もいて、町としての日常が営まれ、ペットもいただろうし、庭に咲く花を愛でる時間もあっただろうし、何より、町はいろんな音をたてていただろう。
311以前に、多くの知人たちが暮らすこの地区を訪ねていた書記長は記憶を頼りに無人の住宅地を右へ、左へハンドルをきる。
やがて、目指す住宅にたどり着いた。
表札に、稲本を確認。
昨夜、稲本夫人から話しに聞いた通り、テラスにスクーターが放置されている。
かつて、稲本夫人と小松夫人はふたりスクーターに乗って町を走りまわっていたそうだ。
80代と60代の、夫人ふたり。
いまは、ふたり、家もなくし、別々の地で暮らす。
稲本家は海辺の別荘のような二層のモダンな住宅だった。
建物にたいして損傷はない。
「盆栽、ありますか?」
書記長の声を聞き、我に返る。
雑草生い茂る庭を探すと、すぐに盆栽の鉢を確認し、鉢内に鉄塊らしきものを見つけ、手にすると、鉄の重さを感覚した。
「書記長、ありました!」
「あったか!」
「間違いなく、これは鉄です!」
書記長は、それを手に載せると同時に、
「これが、古代製鉄所でつくられた鉄子だ!!」
しかも、書記長は鉄子の表面を探るうちに、
「炭ものこってる! やはり、昨日、博物館で解説されたように、砂鉄と炭をサンドイッチにして溶かしてたんだ!」
と、ものすごいスピードで核心に達していた。
「書記長、とんでもないもの、発見しましたね。しかも、浪江の放射能地区で!」
と、興奮状態に陥っていた。
夫人も、その鉄塊を見て、
「稲本さんのいってたのが、コレなのね!」
と、声を高ぶらせている。
そこは宝島であろうはずはないが、鉄子を発見した我々にとっては、宝島に値する秘境だった。
ここまで来る道のりも、その発端を鑑みれば。
猪苗代湖の浜の砂鉄→もろはくやの女将の砲丸噺→砲丸製造計画→古代製鉄所を訪ねる旅→津波被災地の砂鉄浜→稲本家の鉄子
と、連鎖していった。
鉄子を手に入れて今回の旅は実り多いものに終わった。
さあ、猪苗代に帰ろう!
車は山に向かう。
検問所が国境のイミグレを思わせる。
戦時下の印象さえ感じる。
通行証と身分証を提示し、確認後、ゲートが開かれ、通過。
いよいよ、だ。
身がひきしまる。
山へと、車は向かう。
「この坂道を浪江の住民は津波から逃れるために、のぼっていったんです。でも、車が渋滞し、前に進まない。それでも、みんな山の上に、上に逃げて行った。山には1500人ほどの集落があり、そこに8000人の住民が避難した。政府から、役場になんの連絡もなく、テレビで騒いでいるのも知らず、まして原発事故のことも知らされなかった。そのとき、第一原発から放射能が、この山に流れてきていたのです」
と、書記長は振り返る。
山中のふたつ目のゲートは、さらに緊迫感が増す。
軍隊の匂いがする。検問にあたる係官の数も多い。
書類を提示、確認。
ゲートが開き、通過。
いくつかのトンネルを抜けると、空調機のリモコンのような放射能測定器が悲鳴にも聞こえる音を発する。
浪江では1にも至らない数値は4に達する。
それから走行する一時間近く、山中で目にした光景は、地下資源の採掘地のような、汚染土を掘りさらい、労働者が黒い袋につめこむ作業の現場だった。
それも、まるで、山中にいくつものドームやアリーナでも建設するかのように、広大な土地に黒々とした袋が積み重ねられ、それは終わることのない、そう、三途の川の石を積み上げては、崩れ、積み上げては、崩れ、をえんえんと繰り返す生ある世において、これ以上の不毛はないといえる光景だった。
その除染作業に従事している労働者は、『ブレードランナー』に見たレプリカントのように思えた。
こんな場面で『ブレードランナー』を比喩に使うとは思いもしなかった。
あの映画はいつも、舞台となった2019年ロスの、あのダウンタウンのレトロ・フューチャーな想像上の光景を今の東京や香港、上海に見る興奮を与えてくれたが、2019年のロスに宇宙の彼方の植民星から逃亡してきたレプリカント奴隷たちが働かされていたのは、こんな世界だったのかも知れない。
測定器は鳴り止まない。
その地区の非常事態を告げている。
しかし、これはSFなんかじゃない。
現実なんだ。
頭の中ではずっと『テンペスト』が鳴り響いていた。
強清水の蕎麦屋の女将の一言を啓示のようにうけ、ある一点(砲丸)に直線的に向かうはずだった軌道は時間と空間の様々な方位へと、蠢いて行く。
その多次元な姿を見せはじめた旅の虚空を砲丸が翔ていく幻を見ている。
帰京した数日後、足を向けた現代美術館のロビーに、鎧で武装した未来戦士を見た。
それは、何処へ行こうとしてるのか?