留守録には、「オヤジですよ。オヤジ!」と声を残す。
みんな、おとっつぁんと呼んでいる。
カー・マガジンの女性ジャーナリストは、おとっつぁんの仕事ぶりを「変態的に凄い!」と絶賛する。
おとっつぁんは車業界では伝説の人だ。
顔は荒木経惟にそっくりだ。
でも一番似ているのは電撃ネットワークの南部さんだ。同一人物に思えるほど似ている。
おとっつぁんと南部さんは親友だ。
おとっつぁんと知り合って、もうかれこれ15、6年になる。
おとっつぁんの広島自動車は今年春に40周年を迎えた。その盛大なパーティの挨拶で、おとっつぁんが広島生まれで、被爆していることをはじめって知った。
幼い頃、広島で生きる為に放射能を浴びた野やさいを食べていたという。なのに自分は病気ひとつせず好きなことだけをやって、今日まで生きて来れた。だから福島の人たちも頑張って欲しい、と挨拶してると、葛飾生まれのおかみさんが飛んでって、「あんた、話がずれてるわよ!」と叱られると、「じゃ、これでお開きにします」とオープニングに口を滑らせてしまい、場内の大爆笑をかっていた。
広島自動車は外国車・部品輸入販売・整備・トータルレストレーション・板金・塗装を業務としている。
ロールスロイス、ジャガーのレストレーションに関しては、世界でもおとっつぁんの右に出る者はいないと言われている。
40周年パーティーの直後、おとっつぁんから「飲もうよ」と誘いの電話があり、夜7時に葛飾四ツ木の水戸街道沿いにある工房を訪ねることになった。
おとっつぁんを紹介してくれたY君にも声をかけ、Y君と6時30分に日暮里駅で待ち合わせた。常磐線に乗り換え、お花茶屋で下車、雨降る中10分ほど歩いて工房についた。
何度訪れても工房の光景には驚愕する。
すべては仕事に必要なものなのだろうが、工具、部品類が床に散乱し、重なり合い、山となり空間を埋め尽くしてる。
まるでフランシス・ベーコンのアトリエのようだ。
そのカオスの中にロールスロイスが何台も置かれている。
他人から見たら雑然極めた仕事場も、Y君が言うには、「何がどこにあるか、おとっつぁんの頭の中にはすべて入ってるんです」、となる。
工房の片隅に設けられたカウンター・バーで、シングルモルトのバレンタインで乾杯した。
おとっつぁんはキック・ボクサーだった時もあり、それで去年、亀田兄弟の試合の前座でボクシングのリングに上がった。
リングに上がる前にビールを飲んでしまいノックアウトされてしまった。
その時のことを、「キックやってたから、どうも足が出っちゃってさ。足使ったら反則じゃない。困っちゃったよ」と話すと、セコンド役に南部さんと一緒についたY君は思い出し爆笑している。
二杯ほどロックを煽って、工房の写真をたくさん撮って、雨の町に出た。
おとっつぁんの行きつけの呑み屋に案内された。名を〈伊勢芳〉という。
「ひとり、2、3000円もあればたっぷり楽しめるよ」とおとっつぁんは店で嬉しそうだ。
毛蟹一匹1500円!アワビの刺身、穴子白焼き、鯖、鮪、なんでも安い。
酒は生レモンサワー。
店は地元の常連客で賑わっている。ひと癖もふた癖もありそうな年配客でいっぱいだ。
おばさんのひとりは元六本木野獣会メンバーで、若かりし日の思い出話を聞かせてくれる。話に加賀まりこ、峰岸徹、石坂浩二、田辺靖雄の話が出てくる。
数日前に田名網敬一の個展のパーティーで、野獣会の中心メンバーだった岩崎トヨコさんに会ったばっかりなので、この展開に少々驚いた。
おとっつぁんは、15、6歳で上京し東京タワー下の自動車修理工場の見習いとなった。
そこの顧客は、麻布の大使館員たち。だから、扱う車もすべて高級外車。東京オリンピックの前の話だ。
毛蟹の甲羅の内側のミソに日本酒の熱燗を注ぎ三人で回し飲みする。
「うめえ!」
口々に唸る。
「鮪がうまいんだよ。」
「アワビもうまいですね。」
おとっつぁんは気持ちよくなったのか、嬉しそうに昔話をする。
子供の頃、プレスリーの『ハウンド・ドッグ』にいかに衝撃を受けたか、椅子に座ったままツイストを踊って語る。
イギリスの話になり、ジャガー2台を購入しに渡英したのが、「36年前だったよ」というので、サッと頭の中で西暦を確かめると、1977年頃だ。
「それ、パンクの頃だ!!!!」
とマルカム、マクラーレンの息子と親しいY君が大声を上げる。
ちなみに、Y君はロンドン生活が長くロンドンのほぼ重鎮たちと親交がある。
「そう、そう。町に派手な色の髪、おったてた連中がぞろぞろ歩いてた」とおとっつぁんは70年代のロンドンを回想する。
「だからおとっつぁんの工房はパンクなんだ!」とY君は納得する。
おとっつぁんの体の中には、原爆にはじまり、エヴィス・プレスリー、石原裕次郎や力道山、ロカビリー、キック・ボクシング、ロンドン・・・と、「凄く楽しい人生送ってきたよ」と語る、その様々な体験がひとつに溶け合っている。
天下一と言われるそのレストレーションのスキルはただの技能だけではなく、そのセンスも生かされているのだろう。
でも、おとっつぁんは全身全霊職人だ。
そのおとっつぁんがいう。
「うちの近所にね、80歳の職人がいてね。朝6時から客が工場の前に並んでるのよ」
「何、作ってんですか?」
「鋳型。今度案内するよ」
おとっつぁんはさらに気持ちよくなって、若い頃に銀座のジャズ喫茶のステージに立ち、守屋浩の『ぼくは泣いちっち』を歌った話をする。
おとっつぁんはサビのフレーズを歌ってみせる。
「歌いに行くかぁ?」
とおとっつぁんは言い、我々は「行きましょう」と誘いに乗った。
食いに食って、飲みに飲んで、騒いで、しめて7000円ほどだった。
タクシーに乗って亀有に向かった。
おとっつぁんの馴染みのカラオケ・スナックに。40周年パーティーの会場であった美しく上品な年配女性がカウンターに入っていた。
おとっつぁんとママは,1960年代からの友人らしく、若い頃、オープンカーにロングボードを積んで、よく湘南に行ったそうだ。
「みんなでツイストを踊ろう!!!」
とおとっつぁんが叫び、みんなフロアーで、おとっつぁんが歌う『ルイジアナ・ママ』で踊った。
終電の時間になり、スナックを出て、三人で人気のない大通りを亀有駅へと歩いた。
改札で別れ、ホームへと向かう。
途中で一度振り向くと、おとっつぁんとY君はまだ改札に立っている。ふたりに手を上げる。ふたりも手を上げる。
二度、振り向くと、まだ立っている。
三度、まだ立っている。
最終電車で、西日暮里、乗り換え、田町。
どこか神経が高ぶっていた。そのまま帰宅する気にならず、朝5時迄営業の麺屋に寄り、水餃子と生ビールを頼んだ。顔なじみの中国人の若者が厨房で笑っている。
少し気持ちが落ち着き家路についたが、途中〈ハナマサ〉の前を通ったら、突然肉じゃがを作りたくなり店内に入った。ミートコーナーで煮込み用牛肉塊りを、ベジタブルコーナで新じゃが30個入り袋を手に取り、レジで1500円払った。
じゃがいもが案外と重い。
帰宅し、早速エレクトリックプレートに水を張った鍋をのせ、牛肉をいれ、そばつゆで調味。辛味をつけようと、水戸名産の辛子味噌を溶かしこみ、皮を包丁でむいたじゃがいもを鍋に沈めていく。
味がしみ込むまで時間がかかりそうなので、赤ワインのボトルをあけ、ちびりちびりはじめた。
赤ワインでも調味をする。
1時間ほど煮込んで、肉じゃがなんだか、シチューなんだかわからない料理が完成し味見をしたらボルシチみたいになっていた。
しかし、じゃがいも20個ほど、凄い量だ。
それを肴に赤ワインを飲み横になって、この日記を書いた。