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10日間ほどの滞在で、台風が2連発!7月から毎月沖縄へ渡っている。直撃こそないが、台風は毎度沖縄本島をかすめすぎていく。

9月は、香港・広州に上陸したときには最大風速82メートルを記録した19号、つづいて結局は東日本へと北上していったが、20号の襲来も予測され、今回予定していた石垣~黒島行きも、滞在中に渡島を思いたった阿嘉島行きも、海が大荒れで断念した。

人が自分の都合でたてた予定など、沖縄では簡単に自然の猛威によって吹き飛んでしまう。メキシコに「神は人間の計画を笑う」という諺があるが、ここでいう神は人の魂の救済のために存在するアイコン的神ではなく、非情にも人の世を嘲笑するかのように襲う、われわれが自然と呼んでいる力のことだ。

自然を利益のために破壊することによって、人間社会、文明社会は発展を遂げてきた。しかし、自然にその意思があるのかないのかわからないが、自然力は人類の手におちてはいない。

今回も到着した日の夜から泡盛を痛飲。2日目は終日撮影をしていたので、ジミーと飲んだのは深夜からだった。

翌朝には石垣島へ渡る。ジミー一族主催のある祝賀会に招かれ、2泊3日、ジミーと一緒にすごすことになっていた。

「72時間、飲みつづけまっすか?」

「いいよ」

ママが「ねぇ、ジミー、すごい台風きてるのよ、大丈夫かしら?」と心配している。

「飛行機は飛ぶさ」

「そうでしょうけど、だってぇ、石垣から黒島行くんでしょ?船、どうかしらねぇ?」

「船はわっかりません」

「ジミーさ、もう帰ろうよ。明日、朝でしょ。空港行くの」

「そうでっす。8時でっす。でもまだ飲みまっしょ」

「もう泡盛、あきたよ」

「じゃ、ワイルドターキーの8年物、飲みに行きまっしょ」

「今日はもう帰ろうぜ」

深夜2時、ジミーは空港近くの自宅に、ぼくは東町のホテルに帰った。那覇にいるときはホテルを転々とする。うれしいことに部屋の電話機がむかしのままのホテルもある。

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ウォーター・フロントの方のホテルはトレンディーなデザインで売っているが、ものすごくケミカルだ。3泊予約したが一日で逃げだした。

前夜8時にホテルに迎えにくるとジミーは言っていたので、数時間の仮眠のような眠りからさめ起きていた。ジミーから電話が入り、

「7時45分にホテルに迎えに行きまっす」

というので、外で待っているとまたジミーから

「空港に来てください」

と予定と違う動きをとりはじめた。

「空港のどこ?」

「空港の食堂でっす」。

ホテル前からタクシーをひろい空港へ向かった。しかし〈空港食堂〉に行くも、まだ開店していなかった。

10分後にはまだ開店前の〈空港食堂〉で、ジミーと向かい合って迎え酒の泡盛を飲んでいた。「わたし、食堂がはじまるの8時かと思ってました。9時だったんでっす」。ホテルに来るはずが、空港待ち合わせになったのは、奥さんの車でホテルに向かおうとしたら、奥さんは子供を学校に送っていくので、ぼくのホテルに寄る余裕はなくなり、「それで空港に来たんでっす」とジミー。

〈空港食堂〉でだらだら飲み、10時ごろの旅客機で石垣島にむかった。石垣へ行くのはいつぶりだろう?

港のホテルに泊まり大風呂につかった記憶が最後だ。それがいつだったか思い出せない。

そのときは西日本を放浪中で、米子から列車で岡山にでて、旅客機で鹿児島に飛び、種子島へと渡った。そこから鹿児島経由で那覇へ渡り、石垣に入った。

ある時期は石垣によく行っていた。石垣は竹富や西表へ渡るときに寄ることになる。川平湾のほうのビーチサイド・ホテルがすこぶる快適だった。

ひさかたぶりの石垣は空港からして記憶にのこる施設とはまったく違う変貌ぶりだった。国際空港もあった。ターミナルは巨大化し、ロビーもプラザのようだ。南国風情のかけらもない。

空港内にジミー一族が経営するヌードル・ショップがあり、さっそくヌードルと泡盛を調達した。ジミーの子息のひとりが、民俗村へと向かうバスが出発すると呼びに来た。ジミー一族が経営する民俗村が、創設15年目を迎え、祝賀パーティーが開催されるので招待されたのだった。ジミーは「石垣島に井戸を掘りに行きまっしょ」とくりかえし言っていた。パーティーには300人ほどが出席するらしい。入島の日にパーティーがあり、翌日にはジミーとふたりで黒島に渡る予定だった。黒島もジミー一族の所有する島だ。沖縄の離島はまるで農場や牧場のようだ。キャロット・アイランドはニンジンが特産だ。黒島は牛だ。となると、ジミーは農場主や牧場主といった感じか。

村ではセレモニーにまったく出席しなかった。その代わり、大浜邸という古民家の座敷にあがり、ジミーとずっと飲んでいた。庭では強い風を受け亜熱帯性植物群が、大きく揺れている。それを座敷から見ている。

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民家は素朴だ。大きな珊瑚を束石にしている。玄関には黒檀を使っている。

畳の部屋だけでなく、洋室もあり、机と椅子が配置されている。ここは早稲田大学の七代目学長を務めた大浜さんの家だった。知識人の家だ。

どこからも風が吹き込んでくる。それが、極上に気持ちよい。ジミーは座敷に座り、座ったまま、両手を広げ気持ちよさそうに風を浴びている。

祝賀会はもうはじまっていたが、ぼくらは座敷に座り泡盛を飲んでいる。自分は島人でもないし、住人でもない。自分はトラベラーだが、いまジミーとすごす時間はもうちょっとディープになっている。

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「わたし、テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』が大好きでっす」

ジミーは喜納昌吉の人柄はよく思っていないが、『花』は大好きだという。

「沖縄のために『時の流れに身をまかせ』と『花』を合わせたような詩を書いてください」

ぼくらは沖縄の未来のことを話している。

「来年、『ビーチをもらった6人の娘たち』っていうコメディー映画をつくりますよ。監督はフランス人かイタリア人にします」

「イタリア人がいいでっす。やりまっしょ、やりまっしょ」

ジミーは最近、沖縄の未来のためにシンガポール、マレーシアに行ってきたそうだ。南シナ海へ想いをはせる。

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「じゃ、ジミー、いまからテレサ・テンを聴こうよ」

といって、ぼくはIphoneから『時の流れに身をまかせ』をひっぱりだす。迫りくる台風の風が吹き抜けていく座敷で、テレサ・テンを聞いていると、突然、ジミーが嗚咽をもらし肩をふるわせはじめた。

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ぼくはコーラルを思わす美しい畳の縁を見ている。

すっかり酔い、外へ散策に出ると、花垣に黒い蝶が舞っていた。手を差し出すと、その周りで蝶は優雅に遊んでいる。

「花鳥風月の意味、知ってますか?」

「知らない」

「花鳥はとても弱い存在でっす。それを男は守らなければいけない。風月は厳しさです。その厳しさに耐えて生きていく」

「風流とは違うんだ?」

「わたしは、それ、中国で教わりまっした」

酔眼に映る蝶はもはや昆虫ではない。この島の精霊だ。迫りくる台風を感じる風に舞い、蝶は花と戯れている。

たまんない気持ちが胸にこみあげてきた。

夕、10メートルの大波が海上にたっているというので、明日の黒島行きを断念し、その日の最終便で那覇に帰ることになった。南の島の漆黒の闇の中で、パッセンジャーを待っていたのはプロペラ機だった。嵐の空へプロペラ機は発進し、すぐに神の懐に突入した。

出会いは未来からやってくる。

そう想えるほど深く時と戯れる。

ぼくはまた旅に病みつきになっていく。

旅は美しい病だ。

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