森永博志のオフィシャルサイト

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THE LIFE IN A DAY

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北京に戻りました。

空港には李さんの従弟の張が車で迎えにきていました。

高速を朝陽区の重点再開発地区で下り、見慣れた街路を<21世紀飯店>へと走りました。

大通りをはさんで、ホテルの向かい側に、20名程のくすんだ色合いの団体が奇声を発している光景が目に入りました。

よく見ると、その団体のまわりにTVクルーのような撮影隊が何組かいて、さらに遠巻きにポリスたちがいました。

「何、あれ?」

と訊くと、

「ヒマ、ヒマな連中が騒いでいるんだよ」と北京で一番ヒマなはずの張が嘲笑しました。

「尖閣でさわいでるんです」と李さんも興味なさそうにいいました。

「ヒマ、ヒマな連中」

張はくりかえした。

「明日あたり、ちょっと何かありそうですけどね」

李さんは、あまりその話題に触れたくないような口調でいいました。


ひさしぶりの<21世紀飯店>。10年程前はよくこのホテルに宿泊しました。設計は黒川紀章。そのロケット型の建物は、90年代半ばの北京においては相当斬新なデザインだったのでしょう。

ぼくがよく宿泊したころは、その周辺は荒地で、近くにまるでゴールドラッシュ時代のブームタウンのように、バー・ストリートがありました。

<1950>というライブ・ハウスはステージの壁に、ラーモンズの絵が描かれ、カウンターにくりぬかれたボックスには発光する大人のオモチャが陳列されていました。フロアーではバンコクから出稼ぎにきていたニューハーフたちが接客していました。

実にB級SFじみた奇妙な店でした。

いまは大使館地区に変貌し、<21世紀飯店>の向かい側は日本大使の公邸になっていてそこに反日を叫ぶ団体がやってきたようです。

夕刻、火鍋屋に行くことになりました。

張の車でホテルから表通りに出ると、日本大使公邸の前は無人でした。

「もう、誰もいないね」

と訊くと、張が「時間決めてやってんだよ。その時間になると、金で雇われたヒマ人が集まってきて、マスコミもポリスも来て、ワーッとひと騒ぎして、解散だよ」

とまた嘲笑しました。

30分程市内を走って、古い邸宅の四合院が立ち並ぶ地区へ来ました。そこの四合院のひとつが目指す火鍋屋でした。

店では、吉林省で別れたモンゴル人の張さんがいて、個室に案内されました。

円卓には、火鍋のまわりに羊・牛のしゃぶしゃぶ用の肉や野菜を盛った皿が隙き間なく並んでいました。

火鍋は中国各地に、その土地特有の食べ方が工夫されてあり、有名なのは、四川の激辛が売りの鍋です。北京の鍋は辛くなく、羊肉を食べる。

北京王朝の始源は遊牧民系のモンゴル人が主権を握った元代だから、その時に北京人に好まれたのでしょう。

宴席には白酒が欠かせない。白酒はテキーラに似ている。ショットグラスに、並々つぎ、一気飲みする、いわゆるショットガンです。

日本では宴席のはじまりと終わりに、形式的にカンパイするだけですが、中国では何度も繰り返す。

それが一期一会を祝う儀式なのでしょう。カンパイを繰り返すうちに、国籍、人種、世代、職種ら、人を分かつボーダーをこえて、人と人がまじりあっていく。

素のまじわりになっていく。夜をともに過ごす時間が濃密になっていく。

個室の外から女性の歌声が浪々とひびいてきました。

「見に行きましょう」と張さんに誘われ席を立って個室をでると、広間に設けられた舞台で、老女性歌手が老男性奏者の三味線の伴奏で歌唱していました。

老女性歌手はラメのドレスを着て、切々と女の気持ちを歌う。

いわゆるクラブ・シンガーです。長いキャリアを感じさせます。

多分、革命時代には、頽廃文化として歌唱禁止の憂き目にもあったのでしょう。その時代には毛沢東讃歌を唄わされたのでしょう。

彼女はかつて華やかな舞台に立ったころを懐かしむかのように、声をはりあげる。

酒の酔いに、レトロを極めた歌、北京の夜。

個室にもどり、また宴会が再開しました。モンゴル人の張さんとは、もう会うことがないかも知れない、と想うと、少しセンチメンタルになります。

白酒に酔うと、人の印象が深く心に刻まれていく。

ハッキリと輪郭を描き、幾多の表情が浮かび、オーラのかたまりとなっていくのです。

モンゴル人は特に、人格を強く感じさせます。

多分、酒だけに酩酊しているのではないのでしょう。すべてのことに。今回の旅の余韻もあるでしょう。この夜の集いもあるでしょう。格別の歌謡ショーもあるでしょう。

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酔って、火鍋の中心にのびる筒が原子炉に見えてきたとしても………。

北京の夜の奥底には、800年の激動の歴史に磨きこまれた匂玉が光っている。

張さんとは「再見/サイチェン」と体を抱きあって、路上で別れました。

ぶあつい肩の感触が手の平に残りました。


翌日、昼。張の車で798芸術区を訪ねました。

798芸術区には李さんから紹介された写真家の那さんがオーナーのギャラリー映画廊があります。このギャラリーは建設中のときから知っていますが、個人運営としては、北京で一番ユニークです。展示フロアーの他に、書店&カフェが併設され、『PIXEL/素像』という大判の写真雑誌も発行しています。

オープンのころは、チベットの貧しい人たちのポートレイト展を長期にわたり開催していて、その運営姿勢に強い主張を感じました。政権批判の直接的メッセージはタブーですが、写真表現の中やその写真展に、それを秘めています。

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訪ねると、那さんはギャラリーにいて、

「おひさしぶり」

と笑いながら迎えてくれました。

「元気でしたか」

と握手の手をさしのべてきてくれ、

「元気でやってます」

しばし雑談し、「最新号です」と2冊セットになった『PIXEL』をくれました。

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奥宮さんは今日の午後便で帰京するスケジュールだったので、798の中で、張の車からスーツケースを運びだし、タクシーを拾い、ひとり空港へ向かっていきました。

ぼくたちは近くに新しく芸術区がオープンしているというので、そこを訪ねていきました。

車は、ひどくひなびた町へ入っていきました。道幅はせまく、車一台通るのがやっとです。家並みとホンダのアコードの対比が、まるでコラージュでもしたかのように異様です。突然の侵入物に住民は複雑な表情を見せます。乗用車など入ってきたことがないのかも知れません。

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おそらく芸術区へは別の広々とした道があるのでしょうが、車は狭い路地へ迷いこんでしまったようです。

そこを無事抜けると、目指す芸術区が出現しました。全体、真新しいレンガ造りの建物が幾棟も立ち並んでいました。車を下り、中へ入っていくと、建物に窓はなく、入り口も定かではありません。収容所のように見えます。しかも何の表示もなく、全体迷路のようです。

李さんは先へ先へと歩いて行きます。張とぼくは後に従います。

いくつもの角を曲がると広場にでて、両サイドに真っ赤な扉を持つゲートが目に入りました。そこにたどりつくまでの数分間、人の姿は見えませんでした。不気味なほど無人です。

建物の中に入ると、どうやらオフィスの受け付けのようです。やけにモダンな空間の中、カウンターに秘書らしき女性がいました。メンバー制のクラブの受け付けのようです。

李さんが来意を告げると、彼女が2階へ案内してくれました。2階のオフィスでは以前一度お会いした写真家の黄さんが迎えてくれました。

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黄さんは長安出身の方で、黄河を源流までさかのぼり、空撮までしたスペクタクルな作品で、脚光を浴びました。温厚な人柄で学者のようです。

2階には、ライカ・マニアの黄さんが主にヨーロッパで収集したという名機の数々がプライベート・ミュージアムのように陳列された部屋がありました。黄さんはコレクターのようです。別の部屋には茶器のコレクションが並んでいました。調度品はどれもシンプルです。

李さんと黄さんがアンティーク談義にふけるうちに、今から黄さんの自宅にコレクションを見に行くことになりました。

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あまりに突発的な展開、その場のなりゆきで動いていきます。

黄さんを乗せて、車は市中へと向かいました。やはり高速へと直結する大通りがあり、30分程で黄さんのマンションに到着しました。地下室へ案内されると、広々とした天井の高いフロアーがアンティークのコレクション・ルームになっていました。

自慢のコレクションが特別に設置した棚に並んでいます。中国物だけでなく日本物もまじっています。黄さんがシルクロードの都だった長安の出身だからでしょうか、美術品への愛着は本業を想わせる程です。

毛沢東の時代には、政治思想により、すべての旧い思想、生活、文化は否定され、美術品の類は徹底的に破壊されました。所有しているのが見つかれば、厳しく罰せられました。

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美術品は禁制品だったのです。悪夢の時代です。

その時代を想えば、この黄さんのコレクション・ルームは天国の光景です。

だけど、悪夢の時代は過ぎ去ったとはいえ、はるか遠い時代ではありません。近過去です。トラウマがうずくのでしょうか。

その地下室は、世に隠れて存在しているように感じました。秘密さえ感じました。

1階は、北京のミドルクラスの極々フツーの生活空間で、趣味的な物はひとつも置かれてなく、リヴィング・ルームには子供のオモチャが散乱していました。その空間の地下に、コレクション・ルームがあるなんて、とても想像できません。

他にも見せたいものがある、と黄さんはぼくらを駐車場の屋根裏部屋へと案内してくれました。

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そこには木箱に収められた恐竜の化石がありました。寧夏回族自治区の砂漠で地元民から手に入れたと言う。

そこに、恐竜やマンモスの化石が多々眠っているのは知っていました。かつてそこを訪ねたことがあったからです。

化石や奇石が北京の文化人のコレクション・アイテムになっているのも知っていました。石の中に宇宙をのぞきこむコスモロジーが浸透しているのです。

古代においてもっとも稀少価値のあったのは龍の型をした石でした。

最近になって、石の文化が復興しているのです。北京市中には奇石屋が何軒もあります。

隕石ハンターも存在しているようです。内モンゴルで隕石を拾ったという人にも会いました。